俺は宇宙人の存在は信じている。超能力者がいることに疑いを持ってはいないし、未来からの渡航者だって。

しかし幽霊は信じてはいない。それに妖怪も。吸血鬼?馬鹿馬鹿しいな、いるって言うのなら目の前に連れてこいというのだ。そうしたら信じてやるから。

と、まあこういう考え方をする人間―――俺のことだが―――を称して、体験主義者と言うらしい。これは見たことがないから信じない、それは見たことがあるから信じる。だから、UFOを見たことがある人はUFOを信じるけれど宇宙人は信じないし、河童を見た人が唐傘お化けを信じるわけではない。見たままがありのままであるという単純かつ明解な判断基準を持つ人をそう呼ぶのだ。

だから俺は、今まで見てきたさまざまな異常な事象のおかげで、外見からはオカルトマニアと大して変わらないという、希有な体験主義者の例として現在に至っているのだが―――やはり、見た事が無い物は信じないのだ。

だからこの間まで、天使の存在なんて信じていなかったのだが。

「おい見ろハルヒ、天使だ………!」

たった今から俺は、天使まで信じることになってしまった。ああもまざまざとその存在を見せつけられては、ジスイズジスを旨とする俺に抗う術は無い。

俺の位置から机三つ分を明けてその背中を向けている神々しい存在は、身を捩るとその翼まで揺れて、世界を遍く照らさんとするかのように掲げられたその右手は、白魚のようななんて形容では言い尽くせないほどに可憐だ。

神からの司令を待つがごとく凛とした佇まいで、その姿は俺の目を釘付けにして離さないのだった。

「晴奈さん」

「はい!」

「おい見ろハルヒ、天使が立ったぞ………ああ、なんて素晴らしい透き通るような声だ、鈴のような声とはこういうのを指すんだな、おっ、座ったぞ天使が!羽の揺れる様はもう修辞も許さないほどにうつくし」

「うるさいっ!」

思い切り殴られた。







<幸せのあれこれ>






「痛いぞハルヒ………」

「あたしは周りの目が痛いわよ………子どもを本気で天使なんていうあんたは言うまでもなく痛いわ」

「だってお前ほら、羽だって………」

「あれは最近ずっとやってるひかえめツーテールでしょうが!」

「俺はポニーが好きなのに」

「あんたがツンデレの何たるかを切々と語ったりするからよ!」

そう息巻くハルヒの髪型はポニーテールだったりする。基本がデレベースで随所にツンのフレーバーが効いているのが最近のハルヒなのだ。

先ほどの一撃にて正気を取り戻し周りを見渡してみると、成る程ここは小学校の教室である。さっきまで天使に見えていたのは我が愛する晴奈であり、羽に見えていたのは長めのツインテールだった。俺達が立っている教室の後ろ側には、他にも沢山の親御さんが並んでいて、熱心に子どもの様子を眺めている。

そう、今日は待ちに待った、晴奈、小学校二年目にして初の授業参観なのだ。

この日のために、常にハードワークを強いられている会社も、いつもに増して仕事をし、有給をねじ込むだけの時間を作った。ハルヒも同じようにして、二人して我が子の晴れ舞台を見に来たというわけだ。俺はいつも通りのスーツに身を包み、そしてハルヒは黒を基調としたスーツにポニー、しかもパンツスタイルというある種の極みの格好。いつもなら男どもの目線が気になるところだが、今日は大部分が小学生の上に大人は女性ばかりという安全地帯なので、気を抜いていられる。

「あたしはあの先生の視線が気になるけどね………あんたのほうさっきからチラチラ見てるし」

「気のせいだろ?若いのが珍しいのかもしれんし」

今年の晴奈の担任は、若い女の先生だった。聞く限りによれば教育方針は悪くないし、男の子たちのあこがれの的になるというある種の必須科目もクリアしているらしい。

「高校時代にフラグをぽこぽこ立てまくった男がよく言うわ………」

何を人聞きの悪い。一年前だったら古泉にチラチラ見られていたかもしれないが。それに実際、二十代の親というのは子のご時世でも珍しいようで、周りからたまに感じる目線も大抵はそう言う意味だろう。この会話だって実際は周りに聞こえないようにこそこそ喋っているのだ。

「本当に男がいないな………授業参観って普通は母親が来る物なのか?」

「仕事の関係とか、子どもが懐きやすいとか理由はあるでしょうけど………っていうか、両親が来てるって方が珍しいわよ」

確かに、もし全ての子どもの父親母親が来たらこの教室に入りきらなくなってしまうし。最初からそういうシステムだったのか。まあ、うちにはうちの教育方針があるし、学校もそれに応えるだけの器量は持ち合わせてしかるべきだろう。うむ。

小学校の頃の記憶なんてあまり残ってはいないのだが、確か低学年の時の授業参観は国語だった気がする。差があまり出ない教科だからだろうか?答えが一つじゃ無いというのも都合がいいしな。今、晴奈が受けている授業も国語だ。教材はすっかり変わってしまっているようで、聞き覚えのない話だが。

「はい、じゃあこの時のくまさんはどんな気持ちか分かる人ー」

先生が問題を出すと、生徒達が一斉に手を挙げる。この頃は間違いを恐れずに行動するからな。そして、それは決して悪いことではないというのが分かるのは、それから何年も経ってからなのだ。

晴奈はさっき当てられたばかりなので、今度は違う生徒が当てられた。設問は「熊が、冬眠から覚めて自分が何者かを忘れてしまい、迷い迷った後に川に映った自分の姿を見て熊であることを思い出したときの気持ちを応えよ」だった。

「キョンはこの問題わかる?」

「哲学的。とても哲学的な問題だ………そうだな、自分が何者かを思い出すというのはアイデンティティの獲得だとして、冬眠は………熊にとっては不可避な行動、しかも冬を越すための………つまりイニシエーションと総称される一定の儀式、何らかの試練の事だろう。そして自分を知るきっかけとなる川面………これは外界の存在によってのみ自己が確約されるという意味じゃないのか?」

「意味分かって言ってる?」

………哲学的という意味では無かろうか。

「いいや全然。じゃあお前はわかるのか?」

「簡単よ。”人は見た目が全て”って事でしょう」

夢も希望も無い答えだった。ちなみに当てられた生徒は「じぶんがくまだとおもったんだとおもいます」という素晴らしい答えを聞かせてくれた。多分それが正解だろう。

その後もいくつかの質問を投げかけ、また子どももそれに応え、教材の物語を一通り終わらせた。さて、授業参観で、しかも国語の授業だ。ということは、定番の行事が一つ残っている事に気付くだろう。そう、作文の発表だ。

「それでは、みんなに、みんなのお父さんやお母さんのことを書いた作文の発表をしてもらいまーす」

先生が元気良く子ども達に言うと、即座にはーいという声が上がる。まだ若いだろうに、子ども達の心をつかんでいるいい先生だ。いや、若いからなのか。多分俺達より年下だ。

「いい先生だよなあ、ハルヒ」

「知らないわよっ」

なぜかお冠だった。

男女の機会平等の規則に則って、アトランダムに当てられていく生徒たち。男の子も女の子も、それぞれ思い思いの話をはきはきと聞かせてくれる。この位の年齢だと、ひねた性格の子どももいない。いつまでもこうあってくれれば、国の発展とかは置いておいて、心は錦でいられると思う。む、そろそろ晴奈の出番か。

「なあハルちん」

「なによキーちん」

使ったことのない呼称で呼びかけると、使われたことのない呼称で返された。マンネリ打開にはいいかもしれないが、別に倦怠期でも何でもない俺たちにはあまり意味がない。

「晴奈がどっちを多く誉めるか、勝負しないか?」

「いいわね、何か賭ける?」

「俺が負けたら、二人を高級フランス料理店に連れてってやる。お前が負けたら今夜は”改札口”だ」

「なっ………!それはちょっとバランスが悪いんじゃないのっ!?」

改札口。ハルヒの持つ四十八の技の一つ。その開発は人体図とにらめっこする所から始まり、あらゆる身体上のウィークポイントを押さえ尽くしたそれの効果は絶大だ。だが、著しく体力を消耗するために普段はなかなかしてくれないのだ。あまりに密度の高い行為のため、俺は密かに「時速百時間」という別名を付けていたりする。

「おやおや?勝つ自信がないのかなハルちん。そうかそうか」

「むぅっ………ずるいわよキーちん、そう出られると断れないって知ってるくせに………」

交渉成立。丁度、晴奈の番が回ってくるところだった。先生の「晴奈さん」という呼びかけに、いつもの教育の成果か、他の子どもより大きな声で返事をし、飛び上がるように立ち上がる。揺れる髪が眩しい。

「おっ、こっち見たぞハルヒ!」

「わかってるわよ!」

どちらも負けじと手を振る。晴奈はハルヒに似て頭の回りがいいので、ここでの態度次第では内容の変更すら考えられるのだ。既に対決は始まっているのだ―――とかではなくて、単純に我が子可愛さがその理由なのだが。

晴奈が作文用紙に目を移す。対決の開始の合図だ。

「”わたしのパパとママ”」

「俺の方が先だな」

「語呂の問題よ。ノーカンよノーカン」

一歩先行したと思ったのだが。まあいい。愛情の度合いから言えば俺もハルヒも同じ程度なのかもしれないが、しかし遊んだりしている時間は、ハルヒが料理をしている最中などを考えると若干俺の方が有利だろう。

「わたしのうちのパパとママはとてもなかがいいです。いつもにこにこしています。パパもママもやさしいので、わたしはふたりが大好きです」

「なんちゅうええ子や晴奈………!」

あまりに嬉しくてエセ関西弁が出てしまう。渡辺徹ばりにうさんくさいと指摘されて以来使っていなかったのだが。

「パパはぱそこんを使うかいしゃに行っています。パパはせが高くてとてもかっこいいです。おやすみのときはいっしょに遊んでくれます」

「2ポイントだな」

「そうみたいね………」

まずは先取。幸先の良いスタートだ。このまま楽に逃げ切れるとは思えないが。なんせ、ハルヒの晴奈に対する愛情も尋常ではないからな。今日だって俺とハルヒのどちらが授業参観に行くかで熾烈なバトルが繰り広げられたのだから。………そして、二人で来てしまったわけだが。つまり、拮抗しているのだ。

「ママもパパと同じかいしゃに行っています。ママはとても美人で、わたしも
大きくなったらママみたいになりたいと思います」

「3ポイントくらいかしら?」

「悔しいがその位だ………」

夫婦の採点の基準は同じなのだった。完全にフィーリングで決めている辺り、もう長年連れ添っているだけのことはあるのか。しかしコレは良くない。そもそもが短い小学生の作文だ、逆転の機会は少ない。

「ふたりはときどきプロレスごっこをしています。本当になかよしです」

ざわっ、と先生と親御さんの空気が動いた。いや、本当にプロレスごっこで、やましいことなんかしてないですよ?ごそごそしているのを子どもに見られたという話はたまに聞くが、大抵はいい影響など与えないので、そこは気を遣っているんですよ?格闘技番組を見たハルヒがそのままのテンションで組みかかってくるだけですよ?

子ども達は大人達の心の動きなんぞどこ吹く風で、晴奈の作文の発表はさらに進んでいく。

「ほかにも、いつき先生や、ゆきおねえちゃん、みくるおねえちゃんともよく遊びます」

しかし、さすがハルヒの子である。その優秀な遺伝子は色濃く受け継がれ、小学二年生とは思えないようなスラスラとしたしゃべり方だ。このくらいの年齢だと、句読点を無視した読み方になりがちなのだが。周りの親御さん達にも鼻高々だな。

「パパとママとさんにんは、昔からのおともだちなにょです」

………たまには、こういうこともあるが。

「あんたの遺伝子ね」

「うるせー」

むしろ朝比奈さんのイレギュラー萌え体質が伝染したのではないかと密かに勘ぐっているのだが、あまり言うとハルヒが怒り出すのでやめておく。どうやら作文も終盤に差し掛かったようで、ここからの展開如何で俺の財布の重さが変わる。気持ち的には財布が軽くなるのだが、実際は小銭ばかりで重くなるという、良いこと無しのどん底だ。頼むぞ晴奈、俺に恵みを与えてくれ!

その思いが通じたのか。天使がその顔をちらりとこちらに向け、微笑みかけた。

「あと、パパはいつもわたしが欲しい物をかってくれます。ママはけちんぼです」

「プラス1点」

「う………そうね………」

「電話するといつも出てくれるし、雨の日はむかえに来てくれます」

「あんたそんな事してたの!?天気の悪いとき妙に早く会社を出ると思ったら………」

「本当なら学校を休ませたいくらいだ」

「どこの南の島の住人よ………」

風が吹いたら遅刻させたい、とまでは思わないが。しかし、晴奈が雨に濡れている姿なんて、想像しただけで涙が出てきそうになってしまうのだからしょうがない。ともあれプラス1点。逆転である。

「それに、ときどき料理もしてくれます」

「累計5点………!勝った………!」

これで今夜は”改札口”だ!ああ、改札口はいつぐらい振りだろうか。もうかれこれ半月ほどはして貰っていないような。いつもなら昇進とかプレゼントとか記念日とか、それなりの対価があっての秘技なのである。天にも昇る気持ちとはこのことか、ありがとう晴奈―――!

と、その時、また晴奈がこちらをちらりと見た。さぞや美しい天使の表情なのだろうと思ったが、何故かその笑顔は、どちらかというと小悪魔のそれで―――。体ごとこちらを向いて、からかうように舌を出してから、

「でも、パパのことなんてきらいなんだからねっ!」

「マイナス5てーん」

いやっほ―――――――――い!



「だから常々言っているようにだな、紋切り型の悪魔に身を任せているとそのうちに自分を見失ってしまうことになるんだぞ。わかったか、晴奈」

「お肉まだー?」

「聞いちゃいねえ………」

あの後、帰りのHRが始まる前にレストランに連絡して予約を取った。古泉に教えられた所だけあって確かに立派なのだが、思った以上に高級だというのもこの場合は困りものだ。最悪の場合、ハルヒの財布に頼る事になるかもしれない。

結局、勝負は俺の負けということで決着した。そりゃあ、内心はどうあれ、言葉に出されてしまった以上はどうしようもないのだ。あれほどツンデレの難易度の高さについては切々と語ったというのに。

「赤の一番高いやつを持ってきてちょうだい」

「かしこまりました」

ハルヒはハルヒで無茶な注文をしていた。改札口を対価に選んだのは俺自身な為、どれだけ値の張るものを頼まれても何も言えないのが辛い。赤で高いのってどんなだ?ロマネコンティとかだろうか、よく知らんが。ホストクラブとかキャバクラじゃないのだから滅茶苦茶な値段設定は無いだろうが、店内の雰囲気を見るに、平気で万単位の物を出してきそうだ。

「しかしなあ、さっきのアレは頂けんぞ晴奈。みんな驚いてたじゃないか、いきなり俺のことを嫌いだとか言うから」

「ちゃんとフォローも入れてたでしょう?”でも、しょうらいはパパとママと結婚したいです”」

「普通は親父だけだろそれって」

教室に混乱を招いたのは間違いなかったが。子どもたちは慣れた物なのか、大騒ぎになるようなことは無かったのが救いか。既に晴奈はガキ大将ポジションに納まっているらしい。担任の先生から聞いた。

「いいじゃない、こうしておいしいもの食べられるんだし。晴奈ー、おいしい?」

「うんっママ!」

もうこの、こんちくしょうとしか言いようが無いのだが、嬉しそうにはしゃいでいる二人を見てしまうと文句の一つも言えなくなってしまうわけで。男というのは本当に損な生き物であり、そして得な生き物であると。ハルヒと晴奈、たまに年の離れた姉妹かと思われるほどにうり二つな二人が並んでいると、ほほえましさが胸の辺りを包み込んでいく。

「まー、あたしが携帯で指示したんだけどねー」

「ねー」

「ねー………って、なにぃ!?お前ソレ、反則………」

「ルール決めてないあんたが悪いわよぅ。対決をする以上、出来ることはするのが当然でしょ?」

どこの雛見沢だそりゃあ。釈然としない。なにが釈然としないって、晴奈がハルヒの誘いに乗ったことである。疑似ツンデレといわれればそれまでだが、意味もなく片方に付くなんて事はしない子に育てたつもりだったのに。高級フランス料理なんて、晴奈くらいの年ではまだ魅力的ではないだろうと思うが。

「もちろん晴奈にもご褒美はあるわよ。今日あんたと同じ布団で寝る権利」

「俺のいないところで決めるなよ………」

俺、まるで物扱い。

「わたしたちの”物”でしょ?ねえ晴奈」

「ねー」

「さいですか………」

幸せではあるが、しかしまだ二年生の我が子にまで尻に敷かれるのは、さて、どうなのかね。関白宣言などほど遠い現状を少々嘆きつつ、運ばれてきた料理を口に運ぶ。確かに高いだけあってうまい。

と、一緒に運ばれてきたワインを一口飲んでハルヒは、招き寄せるように手招きをしてきた。何事かと身を寄せると、耳元に顔を近づけられて、

「騙してごめんね。ちゃんとしてあげるから、アレ」

「マジで!」

「どうしたのパパ?」

「えっと、その、プロレスだプロレス!」

本当に男は幸せな生き物だ、と思った。
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