<ターン・ターン・ターン 04>






「まさか三人揃って寝ちまうとはなあ」
「あたしは今は休職中だし、晴奈は当たり前として―――あんたが寝てるってのはどういうわけよ。職務怠慢の給料泥棒なんて言われてクビにでもされたら大変じゃない。その辺、もうちょっと自覚を持ちなさいよね」
「晴奈をつれてくるってのを最初に言い出したのは誰だよなあ………」

聞こえないように言う辺り、完全に尻にしかれている感があるが気にしない。雄弁は銀、沈黙は金である。

「金より銀のほうが高価だった時代の言葉かしら、それは」
「うるせー。そういう『井の中の蛙って言うけど蛙が海に出たら浸透圧で死ぬだろ』みたいな揚げ足とりは禁止!」
「それがね、カリブあたりの蛙は海を渡って進化していったらしいわよ」
「マジかよ………ってだから揚げ足取り禁止だっての」

格言はあくまで格言で、その言葉で何を伝えたいのかということが重要なのだから。………というか、こんな論議はどうでもよくて、今は寝過ごして誰もいなくなってしまった会社から帰宅することが第一優先事項なのだ。一通りの作業を終わらせてから寝てしまったから、一応は給料泥棒の誹りは免れると思うんだがな。いままでの作業を保存し、パソコンの電源を―――

「………げっ」
「また蛙の話の続き?」
「別に鳴きまねなんてしてねえよ。あのな、俺が保存する前にこの文書、一回保存されてる」

しかもメール添付で上司のパソコンにまで送信されて、更にそれに関する注文やらなんやらが上司から届いているといった進行具合。で、俺はそんなことをした記憶が全くないときている。つまりこれは、この灰色の脳みそによる推理によると―――

「寝てるの、気付かれてたな………しかも後始末までしてくれてる」
「気を利かせてくれたのかしらね。まったく、あの人たちも空気を読みすぎなのよ」
「今度お礼いっとかないとなあ」

誰がやってくれたのかはわからないが、きっとその人物は周りの人間にも俺たちが寝ていたことを話すだろう。今度から俺にハートフルお父さんの異名が付くかもしれない。いかにも日和ったおっさんのような呼称はあまりうれしくないものであるが、気を利かせてくれたことに感謝して帳消しということにしようか。今度こそパソコンの電源を落とし、背中で未だに寝ている晴奈を起こさないようにしながら立ち上がって、三人して会議室を出た。ありがとう第三会議室、次があるとするなら今度はもっとマトモに仕事をするから、今日の顛末は見なかったことに。



都市部よりも少し外れたところにあるこの建物は、アパートから車で五分程度の場所にある。自転車で来たっていいのだが、ノートパソコンを運ばなきゃいけない手前、もしもの場合を考えてのマイカー通勤。まあ、どちらかというと仕事中に車を使うことが多いからというのが大きな理由なんだが。というわけで今日も今日とて会社を出た俺と、久しぶりの仕事場の雰囲気を堪能したハルヒと、初めての同伴出勤な晴奈はそろって駐車場に向かうのだ。さすがに表は開いていないので裏口からということになるが。

「あ、月」
「おお、本当だな」

っていうか本当に遅くまで寝ていたな。この季節、あんなに満月がキレイに見えているんだから。
都会にしては珍しく一面に広がった星空を眺めながらポケットに手をやり、車の鍵を探す。

ん………?

「どうしたの?」
「いや、なんでもない」

気を取り直して再びポケットに手をやり車の鍵を探す。

んん………?

無い。車の鍵が無い。俺はいつも車の鍵をスーツ左の内ポケットに仕込んでいる。これは浴衣の左右のあわせ方が、サイフを取り出すときに簡単に取り出せるように考慮してあることと同じ理屈でだ。だから、間違っても他の場所に入れることは無い。入れることは無いのだ。もう一度自分の中で確認し、ポケットの中を―――。

無い。とりあえず土下座の体制に入ってみた。

「何してるのよあんた、晴奈が起きるじゃない。別に土下座されるのは嫌いじゃないけど」
「何S発言してるんだよ………じゃなくて、すまんハルヒ!車の鍵無くした!」
「ああ、それならあたしが持ってるわよ。さっきあんたのポケットからスっておいたから」
「うわーなんて無駄土下座だ!」

男のプライド的に百くらいのダメージ。しかしそんなものはとっくの昔に捨てているのであまり痛くなかったりするのだ。それよりも車のキーが見つかったことの方が良かった。某顔の長いおじさんが歌っていたことは本当だったんだと思い知る。アンドレカンドレ。

「あー、うー」
「ああ、ごめんな晴菜、驚かせちゃったかー?」
「うー」

図太さはハルヒ譲りか、それでも眠り続ける晴奈はまるで眠り姫のようである。さて、それじゃあ家に帰るとしますかね。

「ハルヒ、鍵よこせ」
「ん、ああ………」

手の中の鍵を見つめるハルヒは何かを考えている様子で、しかしその表情は満月でも照らしきれていない。こっちからではいまいち様子がつかめないが、まあとにかく鍵を受け取って―――と思い、手を伸ばそうとした、その時。

ハルヒはまるで往年の村田兆治を思い起こさせるようなフォームで―――鍵をぶん投げた。思い切り。
あっけにとられる俺から幾分か先でぽちゃりという音が聞こえた。ウォーターハザードウォーターハザード。

「なっ………」
「えへっ、なげちゃった」
「えへっ、じゃねえ!そんな態度でだまされるか!」
「そωなにぉこることなぃU〃ゃなぃσ∧るもωU〃ゃなぃU★ぁωまりせこぃとぉとこらU<なぃゎょ」
「なに言ってるのか分からんが馬鹿にされてるのは分かるぞ!」

ツッコミも早々に鍵の行方を目で追ってみるが、やはり前方に広がるのは小さな川一つ。音からしても明らかにこの中に落ちたのだろうが、夜ではさすがに探して回ることも出来ない。晴奈も背負っていることだし―――しかし、ほおっておいたらヘタをすると流されていってしまうかも。明日の天気は知らないが、この季節は不意の豪雨も多いのだから油断できない。

「まあまあ、いいじゃない鍵の一本や二本。スペアだって家にあるでしょ?」
「そりゃあるけどな、防犯上の問題とかあるだろーが。ほんと何やってるんだお前」
「てへっ♪」
「うわすげーかわいい!許す!」

許しました。まあ、やってしまったことは仕方ないじゃないか。今から説教をたれたところで鍵がこんばんわと戻ってくるわけでもなし、そもそも口でハルヒに勝てるわけはなかろう、性的な意味では無く。―――しかし、そうなると問題はどうやって帰るか、なのだが。ハルヒのほうを見てみれば、「これしかないでしょ?」と言わんばかりににかっと笑っていて、そうだ間違いなくそれしかない。

―――歩いて帰ろう。



夜とは言ってもこの季節、しかもスーツ姿となれば寒さなんて微塵も感じない。歩いているぶんのエネルギー発散も手伝って丁度いい塩梅だ。虫の鳴き声が聞こえてくるにはまだ早く、ただただ静かな道を三人で歩く。水不足を心配しないで済むていどに適度な雲の流れる空には、一面の星と、それにアクセントとして添えられたお月様がいつまでも俺たちの背中を追ってきていた。車で五分、自転車で十分、徒歩で多分三十分くらいだろうか。郊外へ向かって歩いているものだから、道を選べば人もほとんど通らない。

「………………」
「………………」
「………………」

で、その静かさに中てられて、なんだか三人とも喋らないのだった。ハルヒは楽しそうに、俺もまあそれなりに楽しく、ホームスイートホームへ向けて。
さくさくさく、と土を踏む音だけが響く。道路横に作られた用水路は、そのまた横に広がる田に水を呼び込むためのものだろう。コメは作らずに畑を寝かせておいたほうが儲かるとも言われているこのご時勢、せっせとわが国の食料自給率に貢献してくださっている農家の方々に感謝の念を持ちながら、通学路に指定されているこの場所じゃあ子供のイタズラが耐えないだろうなあという労いの気持ちも忘れない俺である。

晴菜はあいも変わらず熟睡中だ。シャミセンでももう少し起きているような気がするが、今日は色々と新しい刺激が多かった。きっと疲れてしまったのだろう。呼吸に合わせて背中に触れたほっぺたが揺れ、こんな調子ならずっと歩いていられるなあと思う。

さくさくさく、さく。と、突然にハルヒが歩みを止めた。こちらを振り返る。俺と向かい合うというわけではなく、その向こうを見ているような感じ。

「月よ」

ハルヒが月の方を見てそう言ったから、俺もそっちを見る。言ったとおりに月がある。それだけだ。

「月ってね、浮いてるのよ。空に」
「まあ、そうだな。宇宙と空を区別するかは知らないが、浮いてる」
「………はぁ」
「なんだようその見下し感タップリなため息はよう」

あんたはまるでダメね、丸出だめ夫並にダメよといわんばかり。ハルヒは月を指差して続ける。

「浮いてるのよ、あのでっかいのが空中に。あたしね、昼間に出てる月を見てそう思ったのね。夜に出てる月は、夜って昼間とは違う世界だから、当たり前のものだと思っちゃうじゃない?」
「普通は夜に見るものだからなあ」
「でもね、昼間の月っていうのは『夜に見える丸いもの』っていう概念から開放されてるの。明るい世界で、現実感を帯びて見えるわけよ。そこであたしは思ったの。月って球体で、しかも浮いてるのよ!」

大発見!とでも語尾につけそうな勢いだ。が、こいつがもし古代に生まれていたらニュートンになっていたかもしれんなあなんて思ったりも。

「思ったのよ。そういう楽しさって、日常に溢れてるわけ」
「つまりお前は、今も楽しいと。そう言いたい訳だな?」
「まあ、そうね。今考えれば、高校の時だって、その前だって」

で、その言葉の後に続くのは何かって、考えなくても分かるだろう。世界は主観で、それに気付けた時、全てのことに間違いは無くなる。楽しさは純粋なのだ。言葉では表現しにくいこの感覚、表現する必要も無いのだろうけれど―――と思っていると、

「ぱーぱ」
「お、晴菜も起きたか。よく寝たなあ、お前」
「あー♪」

表現する必要も無いなあ、これなら。百聞は一見にしかずというのはこういうことを言うのだろう。
………っていうか、あれ。これはもしかして。

「今もしかして晴菜、喋ったか!?」
「喋ったわね………最初にあんたの名前呼んだのはちょっと悔しいけど」
「まーま」
「なーに晴菜〜♪」
「うお、凄いな晴菜。一気に二つも喋ったぞ」

携帯を取り出して記念撮影しておく。背負ったままなので体勢がキツかったりするが、そんなことはどうでもいいくらいに衝撃展開なのだ、今は。16連写設定を駆使して画像に残し、あとはムービーで電源の続くまで。と、背中に、俺と晴奈の間に、新たなぬくもりが感じられた。なぜか。

「ぱーぱ、しーし」
「………………………」
「あははははは!おりこうさんね晴菜、三つも言葉を覚えたのね」
「しーし、なあ………」

一張羅のスーツはぬくもりに包まれて濡れそぼってしまったが、洗えば元に戻るのだから。今は素直に喜びに浸っていよう―――洗えば取れるよな?浮いている月に聞いてみても、言葉を濁すように雲に隠れてしまったのだった。




「明日の朝は早く起きて鍵探さないとな………」
「あ、鍵ならここにあるわよ。そもそも家の鍵も一緒になってるんだから捨てるはずないでしょ。あの時投げたのはその辺の石よ」
「うわ、卑怯くせえ!」
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