「そろそろ落ち着いたかな………」
「ん………そうみたいね。熱も下がってるし、ひとまず安心ってとこかしら」

小さなおでこに掌を載せてみる。もうここ数日で何度繰り返したか分からないくらいな、と思いながら、いつも通りの温かさまで戻った体温を確認して息を吐いた。この分なら水枕は逆効果だろう。頭をそっと―――眠りを邪魔してしまわないように―――持ち上げ、愛用の枕を置く。本当ならこの枕が無いと眠れないのに、今日の晴奈はそれでなくてもぐっすりなのだった。よく子供が病気になったとき、親が「できる事なら代わってあげたい」なんて言っているのを耳にするが、まさにそんな気分の一週間だったのだ。安らいだ寝顔をもう一度見てから顔を上げると、同じように顔を上げたハルヒと目が合う。

「まー、なんつうか。お疲れ、って感じだな」
「うん、お疲れ」

微笑み半分苦笑い半分、右手と右手でハイタッチを交わした。

寒さも本格的になり、人も、道行くお犬様ですら厚着を始めたある日。職場に電話が掛かってきた。「晴菜ちゃんが熱を出しました。早退させますので迎えに来てください」、そんな内容だ。俺とハルヒは仕事をぶん投げて(ハルヒは文字通りに投げていた)車で駆けつけ、晴奈を引き取って家に戻った。今から考えれば、学校から掛かってきた電話の口調は落ち着いていて、それほど酷い風邪だったという訳でもなかった。実際一日寝てしまったら熱は下がっていたし。大事を取ってもう一日休んでおけば、もう大丈夫だろうと。

が、しかし―――晴菜はハルヒの娘なのだった。二日も寝てなんておられるものか、とばかりに豪快に自室の窓から脱走し、ひとしきり公認の平日休暇を楽しみ、見事に風邪を悪化させて帰ってきたのだった。

『行動力はあたし譲り、思慮の浅さはあんた譲りね』

などと、何故か俺が説教されているような事を言われたり。兎に角、その熱も引いてしまったし、流石に二度も脱走をかます事は無いだろう。いくら俺だって、昨日躓いた小石に今日躓くなんてことは無いわけだし。まあ、一週間くらい間を置けば別だが。時計を見ればもう夕飯の時間はとっくに過ぎて、それを知ってしまうと腹も同時に減ってきた。

「夕飯の材料って、残ってたか?」
「ううん、もう今日のお昼で全部使っちゃったわね。二人ぶんなんて残ってないわ」
「ここんところ付きっ切りだったからな………じゃあちょっと出て買ってくる」
「お願いね」

ジャケットを羽織り、財布が入っているのを確認して、あともう一回晴菜を見てから部屋を出た。

「あ………………」
「ん、どうした?何か欲しいものあるか?」

後ろからのの声に振り返る。が、ハルヒは苦笑いで首を振って、

「やっぱなんでもないわ。体力使ったから多めでお願い」
「おう、了解」

今度こそ部屋を出た。この時間なら駅前に出ればいいか。





<ベイビーツー>






妙に多い人を掻き分けながら駅前を歩く。気温的には寒いはずなのに、これだけの群集を見るとそうでも無い気がしてくるから不思議だ。ポケットに突っ込んでいた手を出して、それでもやっぱり寒いことに気付き、でも一度出したものを引っ込めるのはイヤなので、渋々両手を擦り合わせながら歩いた。―――ああ、脱出した晴菜もこんな気持ちだったのかもしれない。確かにハルヒの言葉は的を射ていた。

「さてと、何を買うかね」

駅前に来れば大抵の物は揃う。が、何でも揃うと言う事は選択肢が多いという事で、つまり俺の最も苦手な分野である。別ベクトルのものを一つだけ選べと言われても中々決められないのだ。とはいえあまり時間も掛けていられないし………と周りを見渡してみる。しかしやっぱり人が多い、いくらサラリー戦士達の帰宅時間と重なるといってもこんな事はあまり無い。それに、今日はやたらと若い男女の二人連れが目に付く。はてさて、何故だらう。

―――などと、現実逃避をしていても始まらない。視界に入る物を今度ははっきりと意識する。

カップル。電飾。赤白の衣装。そして駅前の一番目立つところに置かれた緑色の巨体。考えるまでも無く、セイント聖夜(二重)、つまり。

「クリスマスかよ………」

脱力する。擦る手も止まる。
そういえば、晴菜が風邪をひいたのが十何日だった。一週間くらい看病に集中していたから(有給まで前借した)、日にちの感覚は一切飛んでいて、気付けばこんな状態である。しかもどうやら悪い事にイブは終わっていて、なるほど確かに去年見たときよりは人が少ない。それでも多いが。思えば、家を出るときにハルヒが何か気付いたような声を出していたが、あれは今日がクリスマスだということ―――つまり、イブを逃したということを知ってしまったのだろう。考える。

「マズいよな、さすがに何もプレゼントしないってのは。看病してたことに後悔はないが、考える時間が無さ過ぎるぞ」

そもそも財布に入っているのは新渡戸(旧札)が一枚だけで、食料の事も考えれば余裕は全く無い。大体、この辺はプレゼントを買うような場所じゃないのだ。さて困った、このままおめおめと夕飯片手に帰るのも、ハルヒのさっきの苦笑いそのままになってしまう。どうしたものか。

と、聖なる夜に途方に暮れる俺の肩を誰かが叩いた。

振り向くとそこには―――赤い布に包まれたおっぱいが。

「こんばんは、キョンく………じゃなくて、えっと」

否応無く下がった視線が、更に下にあるミニスカートへと移ろうとするのをかろうじて御する。顔に白ひげを付けた女性だった。ミニスカに白ヒゲというミスマッチが新しい何かを生み出しそうな予感がするが、さてそんな妙な格好のサンタが俺に何のようだろうか。

「なんでしょう、朝比奈さ―――」
「違います、サンタさんですよ。困っている人を助けるために現れた正義のサンタです。そして僕が」
「こいず―――」
「いいえ、トナカイです」

ヨーグルトではないもののキャッチフレーズみたいな言い回しをしながらサンタ(他称)の横に立つ、気ぐるみプラス赤鼻をつけたトナカイ男(自称)。ご丁寧に大きな袋を乗せたソリを引いている。どう考えても両方とも見覚えがあるのだが、どうやら困った事に、そこを指摘してはいけないらしい。

「配役が逆じゃないか、普通………いや、やっぱりこれでいいのか」
「あなたが喜ぶように考えて設定してきましたからね。案の定、お気に召したみたいですが?」
「設定とか言うなよ、そんな格好までしといて」

言いながら女性サンタに目を向けると、恥ずかしそうに身を捩った。その分少し上がったスカートの丈が扇情的でもあり、寒そうでもあり。と、その姿を見ていて思い出した。俺はあまり時間が無いのだった。

「すまんが古泉、ちょっと今急いでるんだ。買うものが色々とあってな。夕飯を買わなけりゃならんし、何より」
「クリスマスプレゼントですよね、キョンくん」
「ええ、まあ………」

何だか気恥ずかしい。そんな微笑ましい物を見るような目で見られると余計に。どうやら朝比奈さん、成長するに従って姉属性が開花したらしい。予定通りといえばそうなのだが。

「事情は知ってます。お二人が晴菜ちゃんにつきっきりで看病していて、今日のことを忘れていたことも」

何故に、と思ったが、よく考えれば古泉は晴奈の学校で働いているし、何よりあの万能宇宙人が―――あれ、そういえば長門の姿が見えないが。疑問に思っている間に、トナカイが言葉を引き継ぐ。後ろに引いていたソリを俺の前まで持ってくる。袋の中身が揺れた。

「だから、こちらをご用意させていただきました」

言って袋の口を勢いよく開く。まるで鳩でも飛ばさんかのごとく。そして、その中から出てきたのは、袋の大きさそのままの大きなプレゼント―――などでは無くて。

「メリークリスマス」
「お、おお………?メリークリスマス」

形式的なのかよく分からない挨拶をかます、先ほど考えていた宇宙人こと長門だった。こいつもサンタのコスプレで、しかしヒゲは付いていなかった。スカートの丈は同じように短いので座っていると見えそうになるのだが、そこは気にしない方向で。気にしたら終わりだ。

「クリスマスとは」

小さな口を開く。こちらを真っ直ぐ見つめる視線は高校時代から変わっていない。

「広く知られているように、イエスキリストの生誕を祝う記念日。その起源は四世紀にまで遡り、今日に至るまでキリスト教の拡散とともに世界の国々に浸透している。国や宗派によって行われる日時、期間は様々で、欧州では二週間に渡って続ける国も複数存在する。また、象徴的なキャラクターとして有名なサンタクロースも、地域によってその姿を変え、宗教という枠を超えて根付いたイベントであることが分かる。日本においては更に宗教色が薄まっており、日本という国の独特さを反映している。諸外国においては家族と過ごすのが普通であるのに対し、日本では恋人と過ごし、またプレゼントを贈りあうというのが一般的な認識となっている」
「独り身には耳の痛い話です」

古泉のいらぬ合いの手に朝比奈さんが笑う。引く手あまたの癖に妙に謙虚なのが余計に嫌味なのだが、こいつは分かってそれをやっている感がある。

「だから、選んで」

袋の中からもう一つ袋を取り出す。長門がそれを開けると、中には二つのラッピングされた箱が入っていた。一つは小ぶりの、もう一つは一回り大き目。何が入っているのかも知らせないという事は、知らせる気が無いという事だ。

「こういうのはものすごく苦手だ」
「ええ、知ってます」
「はい、知っていますよ」
「知っている」
「………ものすごく不服なんだけどな、その反応」

が、まあ。
苦手なものはどうしようもない。こうまでされて「選ばない」なんて選択肢は元々無い。
だから俺は、両方の箱を手に取った。

「正解」

だそうだ。さて、家に帰ろうか。ありがとうな、みんな。今度埋め合わせはちゃんとするから。
笑って手を振った。



がちゃり。玄関のドアを開けてから気が付いた。

(夕飯買ってねえ―――!)

そうである。元はといえばその為に外出したのに、いつの間にか目的が摩り替わっていた。インパクトのある出来事だったから仕方ないといえば仕方ないが、しかしハルヒはその事を許すだろうか。いや、許さないだろう。なぜならあいつは腹を空かせているからで、空腹となった人間は本能に忠実になるからである。その後にプレゼントを渡すとして、あいつの本能がツンを選ぶのかデレを選ぶのかは神のみぞ知るだ。しかし今から買いに行くと時間が掛かりすぎる。

とたとた、と足音が聞こえる。玄関が開いた音を聞きつけたのだろう。やはり空腹で本能が高まっているのか。

「何してるの?さっさと上がりなさいよ。せっかくのご飯が冷めちゃうわ」
「いやすまん、すっかり忘れてて―――って、え?」

ご飯が冷めると言ったか。ほぼ手ぶらの俺を見てそのセリフが出るという事は、もしかして既に?

「届いてるわよ、夕飯。気が利いてるわね、レストランの配達使うなんて。気を使わせるつもりは無かったんだけど、やっぱり気付くわよね。外に出たら」
「あ………ああ、まあな。クリスマスムード一色だったし」

配達とな。たった二人分の料理を配達してくれるレストランなんてあんまりこの辺には無い気がするが、ハルヒがそう思っているならそういうことにしておこう。二人で部屋に入ると、予想以上に豪華な料理が湯気を立てていた。何人で運んできたんだこれは。しかしあの三人、俺がうっかり買い物を忘れる事まで予知して手配してやがったか。悔しいやら感謝したいやら。二人で向かい合って座る。

「今年は無理だなー、って思ってたのよね。結局イブは過ぎちゃったし。別にその事に文句は無いんだけど、やっぱりね」
「お祭り好きだもんなあ、お前」
「ほんと、アンタにはロマンっていうものが欠けてるわ―――って言いたいところだけど、今日は言えないわね」

ちゃんとセッティングしてくれたし、と嬉しそうに。すまんハルヒ、それに関しては俺の手柄ではなくあの三人によるものです。が、今のところは黙っておこう。あいつらもそう思ってやってくれたのだろうし。その上プレゼントも他人チョイスだが、こっちは最終的に俺が選んでいるしまだ言い訳は効く。食べ始める前に渡してしまおう。楽しみを後に取っておくタイプではないのだ、少なくともハルヒは。

「ハルヒ、メリークリスマス。一日遅れちまったけどな」

さすがにこっちまでは予想外だったか、驚いた顔を見せた後、冬の夜に花が咲いた。

「開けないのか?」
「開けるわよ。でも、クリスマスのプレゼントは交換するものでしょう?」

だから、と言って顔を寄せた。俺の頬にも花が一つ。
もう一つ、小さいほうの箱は晴奈のものだろうな、というのはなんとなく分かっていた。こっちはさすがに今渡すわけにはいかない。元気な顔を見てから、というのがこっちとしても嬉しいし、何よりもそれが欲しい。

「何か隠してる事もありそうだけど、嬉しいから許しといてあげるわ」

あんたにしちゃちょっと気が利きすぎだしね。そんなことを言われても反論できない自分が恨めしくもあり、こいつには一生勝てないわと哀しくもあり。だが何より、そんなことを言いながらもハルヒが笑顔を隠せていない事が何よりも嬉しかった。



で。二日ほど間を置いて、ハルヒにあの日の夜の事を明かしてみた。
俺が何もしていないのを咎めるかとも思ったがそうでもなく、その成り行きを楽しそうに聞いている。

「ねえキョン、どうして両方の箱を選んで正解だったか、分かる?」

分からないような、あの時は分かっていたような。ハルヒは新しいネックレスを嬉しそうにいじっている。答えを言う気は無さそうだ。ドタドタドタ、と廊下を走る音。どうやら着替えが終わったようだ。最近は身なりに気を使う時間が成長とともに比例的に増えてきている。きっと首元には、ハルヒがつけているのと同じネックレスが光っているだろう。足音が近づいてきた。さて、こっちは準備も出来ているし、出かけるとしようか。

今日はクリスマスのやり直し。晴奈を入れて三人で。
案外これが答えなのかもしれないと思ったけれど、その事より今は二人をどうやって楽しませるかで頭がいっぱいなのだった。
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