―――は………の…換を………―――




………緩やかに意識が浮上する。なんだろう、ぼーっとしていたみたいだ。ええっと、今、俺はどこで何をしていたんだっけ………?確かいつも通りに、朝は妹に起こされて、朝食を食べて慌しく家を出て、それからSOS団の活動をした………んだったか、どうも記憶が曖昧だ。閉じていた目をそっと開けると、どこか優しい、柔らかな光が差し込んできた。少しの間で目は慣れて、辺りを見回す。

………ん?あれは朝比奈さん………だよな?なんか涙ぐんでないか?おのれ、誰があの方を泣かせたのか、と憤りを感じるも、もう少しよく見てみると、それが嬉し泣きであることが見て取れた。そしてその横には………古泉。いつものニヤケ面ではあるが、これまたどこか当社比四割増くらいの笑顔だ。視線を左に移せば、今度は長門が目に入った。こいつは流石に笑ってはいないが、しかし穏やかな顔ではある。揃いも揃ってらしくない、何か特別な事でもあるんだろうか?


そしておかしなことには、三人の服装は、振袖にスーツ、つまり、目出度い席での正装だったのだ。


「もうっ!みんなが来てくれて嬉しいのは分かるけどさ、今日ぐらいはあたしだけ見ててくれても、バチは当たらないんじゃないかなっ」

「え―――?」

その声に正面を向くと、どうして今まで気が付かなかったのか、そこには真っ白な和服を着た女性が立っていた。―――白無垢って言うんだったか、こういうの。控えめな化粧をして、結い上げられたその髪は、とんでもなく綺麗だ。

「あはっ、やっと見てくれたねっ。結構重いんだよっ?このカッコ」

「でも、似合ってますよ」

こんな美人の知り合いはいない。それでも、お世辞とかではなく本音でその言葉が出た。その人は、その格好とは裏腹な天真爛漫な笑顔を見せて喜んでくれる。

「そう言ってもらえるとうれしいねっ!キョンくんも意外と似合ってるよっ、馬子にも衣装、って感じで」

「そりゃどうも。でもそれ褒め言葉じゃないですよ」

「ありゃ、そうだったっけ」

………って、似合ってる?俺に?その言葉に自分の体を見下ろしてみると、なんと俺までもが普通の格好ではない。なんと紋付袴である。これじゃまるで目の前の人と結婚するみたいな………

「ほらキョンくん、指輪の交換だよっ!山場なんだからびしっと決めるにょろっ!」

………にょろ?

「………鶴屋さん!?」

「ん?何かなっ?」

………やっぱり鶴屋さんだった。この人、こんな格好も似合ったのか………。いやしかし、という事は………何か、俺と鶴屋さんが結婚するとか、そういう事なのか、これは?そういえば周りの人は皆正装しているし、良く見れば妹まで着物着てるし、谷口や国木田までスーツを着て立っている。そういえば鶴屋さんといっしょに閉じ込められた時に、掟とか仕来りとか何とかってのを聞いた覚えが………ああ、思い出してきた………。

―――それでは、指輪の交換を………―――

進行役の人なのか、向き合う俺と鶴屋さんの横にいる女性がそう言う。髪に隠れて顔は見えないが、巫女っぽい格好をしているから、神社の関係者なんだろうか。式の形式が神前だから、きっとそうだろう。

「さっ、キョンくん、あたしを貰ってくれるっ?」

「うぅ………」

そんな事、いきなり言われたって決められるわけが無い。無いのだが、しかし、この状況、そしてこれに至る経緯。その事を考えれば、この場から逃れることなんて到底無理だということも分かる。それに、俺だって、これだけ迷うということは鶴屋さんのことを憎からず思っているということで………。

鶴屋さんの左手が差し出され、俺の左手がそれをそっと掴む。右手にはいつの間にか指輪が握られていて、無意識のうちに鶴屋さんの薬指まで運ばれていく。

これで俺の一生が決まってしまうというのに、何故だかそれは大したことではないように思えた。そりゃそうだ、いつもは底抜けに明るく、でも必要以上には干渉せず、をモットーとしていたあの先輩が。それでも俺たちが頼れば必ず助けてくれた彼女が、目の前で、驚くべきことに、涙ぐんでいるのだから。

あと数センチ。時間にすれば数秒にも満たない時間で、指輪は指に納まる。それで終り、それで始まり。こんな人生も悪くない―――いや、むしろいい、か?今度は自分の意思で手を動かし、そして今正に、二人の間に契約が―――




―――指輪の交換を………させるわけ、ないでしょうがああぁっ!―――




「うわっ!ちょっと巫女さん、いきなり何言って………」

「ふふふ………巫女さん、ねえ?団長サマに向かってその物言いはどうなのかしら………?」

巫女さんがその長い髪を放り投げる。カツラの下から出てきた顔は―――涼宮ハルヒ、その人であった。

周りの人間は、緊急事態にもピクリとも動かない。まるで時間が止まったように。ただ握った手のひらの温かさだけは感じられたが。

「ねえキョン、部室に置いてある物、誰のものになると思う………?」

「………団員の物、じゃないのか」

恐る恐る答える。つうか本当に怖い。

「そうね………つまりあんたは団の共有所有物………こういうワケよ」

「んな横暴な!」

「それを黙って誰かのものになる………?そんな事は………!」





絶対に!許さないんだからあっ!!!











<ジャストアナザープロポーズ(逆)>






「うわああああぁぁぁぁっ!」

余りの衝撃に跳ね起きる。あのタイミングでハルヒはマズい。下手すれば殺され………ん?跳ね起きる………?

落ち着いて周りを見渡せば、ここは式場なんかではないということが分かる。確かに柔らかな光が差し込んでは来ているが、それは窓から零れる朝日だった。体に感じるのは布団の感触。つまり、これは。

「夢オチかよ………なんて安易な………」

という事は鶴屋さんの一件も夢だったということだろうか?それはそれで寂しい気もするが。

「んっ………はぁっ。まあハルヒに殺られるよりはマシかね………」

少し安心して、緊張した体を休めようと手を付く。む、何か絹のような感触があるが………まだ眠いし、そんな些細なことは気にしないでおくことにした。少しだけ隙間の開いている障子からは、今日も元気に太陽が光り輝いているのが見えた。今日は少し熱くなるかもな。ちらりと見える灯篭はいつも通りの位置に立っていて、池が反射した光が映ってゆらゆらと揺れている。十畳を優に超えるこの寝室に敷かれた布団からでは、はっきりとは見えないのだが。

………まあ落ち着けよ俺。

まず俺の部屋は十畳なんて無いし、庭には灯篭も池も無い。窓だって普通のサッシだった。そりゃ窓から見える太陽は見慣れたものだが、しかし。頬っぺたを抓ってみる。二重の夢オチ、というわけでは無さそうだ。

「ん〜っ………」

隣から声が小さく聞こえる。なんというか、寝ているところを起こされた、みたいな声が。

ああ、見たくないなあ、どうせ意味なんか無いんだろうが、それでもこの場から逃げ出したい気持ちで一杯だ。そういえばさっきから右手に感じる絹のような感触。これもよく考えれば、つい最近触った覚えがあるなあ………。少しずつ手を動かしていくと、温かい何かに触れた。そう、まるで人肌のような。そしてこの張りと瑞々しさ、男のものでは全く無いと断言できる。ぴくり、と、触れていたものが少し動いた。

「んっ………ふあぁっ。あ、キョンくん、おはようだねっ」

おはようございます、鶴屋さん。



布団の上で向き合って正座。開けられた窓から訪れる清々しい風が部屋の中を駆け抜けるが、今の俺にはそれを味わう雅な心を持つ余裕は無い。

「で、今の状況を教えていただきたいのですが」

「んっ?覚えてないにょろっ?あのめくるめく官能の夜を」

「………マジっすか」

覚えているか覚えていないかと言われれば、覚えていないと答えるしかないのだが、しかし同じ布団に寝ていた以上は考えられない事では無かった。記憶にあるのは、あの時―――多分昨日のことだろう―――二人で閉じ込められて、その中でちょっとアレな事をして、してしまって、後なにか大事なことを言われたような気がするんだが………何だったか。

「お婿に来るんだからそれくらいはあたりまえっさ!若い二人を止めるものは何も無いんだねっ」

「展開が早すぎると思いません?というか本当に身に覚えが無いんですけど」

「だって嘘だからねっ!」

「………………………」

腰が砕けた。冷静に受け答えをしているように見えたかもしれないが、これでも内心バクバクなのだ。大事なハジメテを覚えていない、というのもそうだが、何よりも重要なのは、鶴屋さんの言葉が本当ならば、彼女のハジメテも奪ってしまっていたかもしれなかったということで。忘れているというのは余りにも勿体無………いや、不誠実というものだろう。

「で、どこまでが嘘ですか?あとここはどこですか?」

「ここはあたしんちだよっ。で、官能の夜、ってとこまでかな?あながち嘘ってわけでもないけどさっ」

「うう………あれはその………若気の至りといいますか………」

「ケダモノっぽいキョンくんもいいねっ!」

「申し訳ないです………」

さすが年上、ここに至っての余裕が違う。どうやら、というか最初から分かっていたことだが、一連のアレと、あと婿が決まった発言までは、やはり現実のことらしい。

「えっと、じゃあ何故鶴屋さんは俺といっしょの布団に………いや、その前にどうして俺はここで寝ているんでしょうか」

「あの後キョンくんが気絶しちゃったからねっ!せっかくだから一緒に寝ようかと思ったのさっ!」

気絶したのか俺。確かに人生で一二を争うような、というか多分ダントツ一位の出来事だったわけだから無理もないが。そして知らぬ間に共に一夜を過ごしていたという事実に赤面。鶴屋さんも少しは恥ずかしかったのだろうか、顔を赤らめて目を逸らしている。そんな風になるならやらなけりゃいいのに………。そのお陰で少しは気が落ち着いた。

「きっとごはんが出来てると思うから、あっちの部屋に来てね。あたしは先に行ってるからさっ」

「あ、わかりました。えっと、洗面所はどっちですか?」

「右に出てくれればすぐだよっ。あと………」

少し迷ったような素振りのあと、イタズラを思いついたような顔になる。

「治まりがつかなかったら鎮めてあげるよっ!ご入用ならお申し付けくださいにょろっ!」

視線を下にわざとらしく動かして言い、足早に部屋を後にした。何のことだか分からず俺も下を見ると、元気良く起立した我が息子一人。

「………………………」

やりきれない気持ちになりながらも、洗面所を目指して歩き出すのだった。生理現象、不可抗力。そう自分に言い聞かせながら。



「うまい………!」

一見すれば、一般家庭によく見られるような、極普通の味噌汁。しかしその実、味噌の質、量、出汁、具の大きさ、火の通り具合、素材の良さ………等々、どこをとってもグラフが最大の円を描くような、究極至極の代物であった。こんな味噌汁飲んだことがないぞ!きっとお年を召したお手伝いさんか誰かが作ったのだろうが、歳月を重ねるだけでは到達できない場所にまで至っていると言える。舌の上で豆腐がシャッキリポンと踊る。

「うまいですよコレ!ごはんの炊き具合も絶妙だし、魚も」

ばくばくと箸を進める。行儀の悪い一歩手前くらいだ。しかしこの料理を前にして誰が手を止めることが出来るだろうかっ………!

「あははっ、喜んでくれてうれしいよっ」

「ここまでの物を作るなんて並みの料理人じゃありませんね………何か秘訣みたいな物があるんでしょうか」

「人を強くする物なんて一つだけっさ!愛だよ、愛っ」

俺の正面に座って上品に食事をしている鶴屋さんは、破顔しながらどこぞの不可拘束みたいなことをおっしゃる。愛ねえ。そんなもの最近は向けられた覚えなどないが、成る程確かに愛すべき人物である鶴屋さんだ、おうちの方からそれ程の愛情を向けられていてもおかしくは無いだろう。

「キョンくんへのねっ!」

「ごふっ!」

あやうく口の中の物を噴出すところだった。なんとか持ちこたえたが、しかしよりにもよって俺への愛とはどういうことか。

「俺はお手伝いさんから愛情を向けられる覚えは無いんですが………」

「え〜?アタシはお手伝いさんじゃないよっ!あっ、それともメイドとかが好きなのかな?みくるもそんな格好してるしね」

あれは俺が強要しているわけではなくてですね………まあ嫌いではないですが。………待てよ?という事はこの素晴らしき朝食を作ったのは………?

「うん、あたしにょろっ」

「………でも一緒に寝てたんじゃ………?」

「鶴屋家秘伝・落寝弐臥さっ!」

………砕けた言い方では二度寝といった所か。つまり一度起きて朝食を作り、そして再び寝たのだろう。先に部屋を出て行ったのは温め直す為だったということか。つくづくこの人には頭が上がらないな………。

「妻としてそれくらいは当然っさ!かわいい寝顔も見れたしねっ!」

「………っ!」

「毎日お味噌汁作ってあげるにょろ」

にょろ、の所で小首をかしげるような仕草をしてきて、もうなんと言うか合わせ技で一本という感じだ。今は鏡を見たくない。多分リンゴのような顔をした自分が見えるだろうからな。

「いやいや、そうじゃなくて!その、結婚するとかどうとか言うのは………どこまで本気なのでしょうか………?」

これだけは確認しておかないと。今まで聞かなかったことがおかしいくらいだが、鶴屋さんの傍にいるとなんとなくそれでもいいか、という気になってしまうのだ、困ったことに。しかし聞かないわけにもいかんし、聞かなかったらこのまま婿入りしていそうだし。

「掟の事は本当。もう見られちゃってるから言い訳はできないねっ。問答無用でってことになってるからさっ」

「それでも拒否した場合はどうなりますかね………?」

失礼な質問ではあるが、しかし選択肢は無いよりはあった方がいいのだ。嫌な顔一つせずに、鶴屋さんは答えてくれる。

「ブラジルあたりに逃げれば大丈夫なんじゃないかなっ?」

「素で凄いことを言いますね」

つまり犯罪者と同じくらいの勢いで捜索されるということだろう。しかも逃げる以外の選択肢を考えに入れていないということはつまり、目の届く範囲にいる限りは俺に拒否権は無いという事だろう。

「でもねっ」

鶴屋さんの目は、一見して今までとは違うと分かるほど真剣だ。

「キョンくんがイヤだって言うなら、なんとかしてみない事もないかもしれない。あたしだってこんな掟なんて前時代的だと思うし、それに」

そこで一呼吸。それでも鶴屋さんは目を逸らさない。

「好きな人が嫌がることをするなんて、イヤだしねっ」

真っ直ぐに向けられる視線。今の俺に、それに返すに値する言葉が一つでもあるだろうか。きっとここまで立派な家だ、掟を破れば相応の処罰があるんだろう。それを承知で俺に選択の機会を与えてくれている。

大体、俺があそこで躓いたりしなければ。鶴屋さんだって、ここで悩むことなんて無かった筈なのだ。好きという言葉には多分嘘は無かっただろうけど、もっと自然な形だっていくらでも考えられる。必要な過程をいくつもすっ飛ばしての現在。その原因は、間違いなく俺にある。

が、責任感で出した答えなんて、彼女は望まないだろう。

だから、俺には答えなんて一つしか無かったのだ。

「………………時間、いただけますか。今答えたら、ダメな事しか言えない気がします」

情けないが、本当のことだ。過程が無ければ作ればいいじゃないかというのも少しある。………鶴屋さんはなにやらびっくりした顔をしている。もしかしたら呆れられただろうか?

「あの………ダメでしたか?」

「いやいや、そうじゃなくって。驚いたなあ、キョンくんなら、流されちゃうかすぐに断るかの二択だと思ってたよっ」

流石にそれは………と思ったが、確かに以前の俺だったらそうだったかもしれない。どっちの選択肢も、結果は真逆だが、精神的にはダメージを避けての行動だ。しかしSOS団の活動で一皮剥けた俺は、そんな後ろ向きな事はしない。最善の行動を取らないと最悪死ぬ事だってあったんだし、その程度の度胸はついているのだ。

「味噌汁、美味しかったですし」

「あははっ、作ってよかったよっ!その方があたしもいいと思うしねっ」

どうやら傷ついたとかそんな事ではなかったようだ。………元々そんなタマでは無かったか、この人は。そう言って最後の一口を食べ終えた鶴屋さんは、こっちに机の周りをこっちに歩いてくる。

「じゃあこれからよろしく、だねっ」

差し出される右手。スポーツでも始めるみたいだが、この人との事なら、こうやって清々しく始めるのも悪くは無いか。

「はい、よろしくお願いします」

俺も右手で握手に応じる。やっぱりこの人といるのは心地いいな………俺よりも男らしいし。竹を割ったような性格、とでも言うのだろうか………なんて思っていると、いきなり握った手が引かれた。またも俺はバランスを崩して前のめりになる。そして、

「これでハルにゃんと同じにょろっ」

「………………………」

何故それを。聞いても『女の勘』で片付けられそうだが。それに現実では初めてです。

「あ、あと今日からこの家で暮らしてもらうからねっ!親御さんには連絡しておいたから心配いらないよっ!」

「………………………」




………………なんですと―――――!?
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