「あたしはキョンくんが好き。みくるに照れてるキョンくんも好きだし、有希ちゃんにそっと話しかけてるキョンくんも好き。一樹くんのゲームにいつも付き合ってるキョンくんも、クラスの友達とダベってるキョンくんも素敵だねっ。ハルにゃんにくっついて色々やってるときなんか、めがっさ楽しそうにみえるんさっ」

爆弾はブラッディマリーの如く絶え間なく投下され、俺はそこに立ち尽くす他なかった。まるで自分の自慢話をしているのかと思うほどに誇らしげな鶴屋さんの表情と対比するように、ハルヒの表情は堅く、堅くなっていく。そりゃそうだろう、のろけ話を延々と聞かされれば誰だってこうなるさ。

「ちょっと………鶴屋さん?」

引きつった表情で口を開くハルヒ。しかし、既に駆動を始めたマシンガンにデリンジャーで対抗するのは無理がある。

「でも………やっぱり、あたしと話してくれてる時のキョンくんが一番好きなんだよっ。だからさ―――キョンくんは貰うことにしたよ、ハルにゃん」

「っ………!ちょっとキョン、これはどういうことよ?聞いて無いわよこんなの、団員は恋愛禁止だって言ったでしょう」

それをこそ俺は聞いた事が無いが。どうやら今の鶴屋さんに正面から向かうのは無理だと判断したようで、標的を俺に変えてきた。

「あーと、な………何というかこれは………」

「一応さっ、今のところはキョンくんはハルにゃんの下についてることになってるっしょ。だから筋を通しとこうと思ったにょろっ。じゃ、またねっ」

話はこれで終りとばかりに、弁当を片付けて扉の方へと歩いていく鶴屋さん。ハルヒの目が、俺の手が取られた瞬間にもう一段階鋭さを増す。ぴくぴくと眉を振るわせるハルヒと、あくまで楽しげな鶴屋さん。すれ違った瞬間に、何故か決定的な何かが始まったような、始まってしまったような気がした。

「………ちょっと、鶴屋さん?」

「………何かなっ?」

こちらに背を向けたままのハルヒの呼びかけに、鶴屋さんも振り返らずに答える。ちょっとお二人さんもう少しフランクに行きませんか、このままでは息が詰まってしまいます―――などと言える雰囲気でも無さそうだ。

「キョンは一個人である前にSOS団の団員なの。そこのとこ、わかってもらってると思ったけど?」

「待てハルヒ、露骨に人の人格を否定するんじゃ………」

「あんたは黙ってなさい!」

本気で個人としての権利を奪うおつもりのようである。

「もちろん団の活動もやってもらっていいよっ、その時のキョンくんも楽しそうにしてるからねっ」

そんなことを言うあなたの方が輝いて見えます鶴屋さん。なにやら話がかみ合っていない気がするが、それも当然である。方や俺を伴侶に迎えたいとおっしゃっている鶴屋さんと、団員として酷使したいのであろうハルヒ。ベクトルが違いすぎるのだ。

「あ、そうだっ」

鶴屋さんは、まるで朝の挨拶でもするかのように、

「昨日、キョンくんと一緒に寝たにょろっ。それだけ、言っとこうと思ってさっ」

「なっ………!」

振り返ったハルヒと、引き摺られながらドアへと向かう俺の目が合う。きっと文学作品ならこんな時は土砂降りの雨だろうに、空は腹が立つほどに青く澄み渡っている。現実なんてそんなものか、と関係の無い事を考えてしまうほど、俺は混乱していた。それこそ、釈明をする事が出来ない位に。

錆付いた扉の開く音と、校舎と屋上の匂いが交じり合った空気。鉄製の扉が目の前で閉じる時まで、俺はハルヒと目を合わせていられなかった。





<ライカボム>






「どういうつもりですか、アレは」

「んー?アレってどのことかなっ?」

二人並んで自転車置き場まで歩く。別段示し合わせてこうなったわけではなく、単に二人乗りして来たせいで一緒に帰らないといけなくなったというだけの話だ。そういう事にしておかないとまたあいつの神経を逆なでしてしまう。

自転車の片足だけのスタンドが、今はとても不安定に見える。昼休み、青空に向かって呟いた言葉はなんだったか、なんてことは忘れてしまった。
ガタン、とスタンドを足で解除する。

「昼の事ですよ。何も、わざわざハルヒを怒らせるような事、無いじゃないですか」

鶴屋さんにしてみれば、最悪でもハルヒと会わないように生活することだって出来る。しかし、俺はあいつと同じクラスなのだ。あの後の残り二時間はまさに針のむしろ状態で、何も言わずに強烈な怨念のこもった視線を寄越してくるハルヒにクラス全体が固まっていたものだ。

「キョンくんはさ、ハルにゃんがどうして怒ってるかわかるかい?」

「………そりゃ、玩具を姉に取られた妹、って感じじゃないですか」

「にゃははっ、やっぱそう思うかな」

俺の意見を一笑に付して鶴屋さんは、自転車を引いて歩く俺の三歩前に出る。

「まっ、キョンくんはそれでいいと思うんさ。でもさ、やっぱ乙女の想いってのは大切にしないといけないと思うんだねっ」

「何の話です?」

「言ってみればさ、あたしのやってる事って反則に近いにょろよっ。いきなり家の掟なんか振りかざしてるんだからさっ」

「はあ………」

反則、というか変則、という方が自分にはしっくりくるのですが。

「違う違う。反則ってのは、競う相手がいるから成り立つ言葉だよっ。でも、今回ばっかりは審判がいないからね。自分でペナルティを課さないとだめなんさ」

イマイチ論旨が掴めない。乙女ってのが誰を指すのか―――ハルヒ?アイツほどに乙女なんて言葉が似合わないのもいないだろうに。反則というのも、やはり変則としか思えないが。

「みくるも有希ちゃんも、なんだかちゃんと覚悟してるみたいだったからね。でもハルにゃんだけはそうじゃないから。言いたい事を言わないのと、言いたいことがわかんないのは違うんだよっ。わかるかなっ?」

「先生、さっぱりわからないです」

「あはは、それでこそキョンくんだねっ!」

ケタケタと笑う鶴屋さんだが、俺は釈然としないのだった。イマイチ意図がつかめないが、どうやらあの行動にはそれなりに意味があったということだろうか。ハルヒの機嫌を思い切り損ねただけという気がしないでも無いのだが。

「そろそろいいんじゃないかなっ。人も少なくなってきたみたいだしさっ」

「ん、そうですね」

前後を確認してから自転車に乗り、鶴屋さんも後に続く。さすがに校内から二人乗りというのは羞恥プレイに近いので、お願いして、道中目立たないところから、という事にしてもらったのだ。相変わらず背中の感触と腰に回される手には慣れないが。緩く傾斜した道に合わせてペダルに乗せた足を回す。

しばらくしてスピードが出始めた頃、問いかけられた。

「ねえキョンくん、ギャルゲーで攻略の難易度が一番高いのって、どんな人か分かる?」

「いや、やりませんから分かりませんが」

「ほんとにょろ〜?大丈夫だよ、あたしはバイカル湖くらい懐深いからさっ」

それがハッタリの比喩じゃない事は知ってますが、本当にやらないんですって。腰に回した手をキツくされても答えは変わりませんよ、いてて。

「アレじゃないですか、正ヒロインとか。看板キャラですし」

「ちっちっちっ、甘いねキョンくん。それはね―――」

主人公だよっ。



与えられた部屋は、大体十畳くらいの和室だった。一人部屋には十分の大きさで、かといって過剰に大きすぎる事も無い。事情が事情とはいえ結果的に居候になる自分には丁度いい。気を使わなくても済むからな。隅に置いてあった座布団を部屋の真ん中にほおり投げる。ぽふんという音が間抜けに響いた。

「今日は………疲れた………」

昨日も同じような事を言っていた気がするが。座布団を使うのもよくよく考えれば久しぶりのはずだが、そんな文化的感慨に浸る余裕も無いのだった。

あまりに場が荒れすぎている。整理してみよう。

まず、なんだかんだあって俺が鶴屋さんの婿に取られるとかなんとかいう話になって。それからゴタゴタして鶴屋さんの家に住み込みになって。学校に行けばハルヒにその内容の三割ばかりがバレたと。要約すればたった三つのセンテンスに過ぎないのに、一高校生にはそれが重すぎた。

ふう、と息を吐いて横になった。制服に皺がつくが知ったことではない。座布団を枕代わりにして頭の下に挟み込む。これからどうするべきか考えてみるが、偏差値五十を下回る脳みそでは的確な答えを導き出す事は出来なかった。遠くから聞こえる鹿威しの音が、懊悩を無視して前進し続ける時間を否が応にも意識させる。

「………納まり、悪いな」

座布団を引き抜いて放り投げる。

「………てっ」

案の定、頭の上に戻ってきたのだった。



「キョンくーん、ご飯だよーっ」

「ん………はーい、今行きますー」

まぶたがやたらと重かった。記憶は無いが、どうやら眠ってしまったようだ。ぼやけた目を擦りながら立ち上がる。少し休んだお陰で気分も戻った。適度に滑る襖を開けて、さっき覚えたばかりの道順に従って鶴屋さんの元へ向かう。

しかし………今更だが、鶴屋さんって本当にすごい家に住んでるんだな。さりげない装飾や、窓から覗く庭園が―――というか、普通の家は庭園なんて言葉は使わないのだが―――只の金持ちではない、年月を重ねた家柄を滲ませているようだ。いや、本当のところは自分にはそんなことはわからないが、なんとなく雰囲気的に。

「おっ、やっと来たねキョンくん。寝てたっしょ?」

「わかります?」

「そりゃ、制服のままだからねっ。シワだらけっさ」

見てみれば、確かにその通りだった。もしかしたら畳の跡も顔に残っているのかもしれないが、それを言わないのが奥ゆかしさなのだ。うむ。軽く手で伸ばしてくれる鶴屋さんに多少の照れを感じながら万全に準備された机の前に座れば、例の味噌汁の匂いが鼻腔をつく。どうやら今晩はもやし入りのようだ。

「いいですね、もやし。味噌汁には最高ですよ」

「味噌汁にしちゃえば大抵のものはおいしくなるからねっ。大根も好きにょろっ」

「ああ、いいですねえ、大根」

なんだか高校生の会話とは思えないのだが、くつろげるのは悪い事ではないからな。特に、今の自分には。日常が一番なのだ、日常が。女の先輩の家で晩飯を喰らうのが日常であるはずも無いのだが。

「太くて長いし、最高っさ!よく入れるよっ」

「………………………」

そうですね、と返しておく。ここで卑猥な想像をしてしまった自分が悪いのだろう。鶴屋さんに悪気は無い。太くて長いのが嬉しいのは、単に費用対効果の問題だと思う。

「他にも茄子とか入れるねっ。形も丁度いいしさっ」

「………………………」

形?形って料理に関係あるのか?いや、しかし火の通りとか切りやすさとか、見た目の美しさも多少は関わってくるだろうか。うむ、全く卑猥ではないぞ。そのはずだ。

「きゅうりもいいにょろっ」

「きゅうりは味噌汁には入れません!」

何言っちゃってんですか鶴屋さん!どこに入れるの?一体ナニに入れるの?

「あれれっ?うちは冷やしたお味噌汁にキュウリを入れたりするんだけどねっ」

「ぐっ………いや、済みません、生活文化の違いに取り乱しまして」

「お味噌汁以外に入れるものでもあるのかなっ?」

にやにやとこちらを見てくる鶴屋さんは、どうにも楽しそうで。遊ばれていたのだと思い知った。この先輩、本当にいい人なのだが、人を手玉に取るのも上手いのだ。せめて外面にはこれ以上の動揺を見せないよう、急いでご飯を掻き込んだ。それを微笑ましげに眺める鶴屋さんを見て、もしかしたら、精神的に疲れていた俺の気を紛らわせてくれたのかもしれないな、と思った。

ああ、そういえば、聞くのを忘れていた事があったんだっけ。

―――俺の部屋の押入れの中が空っぽなのは、どうしてですか、鶴屋さん。

―――それは、その部屋に布団が必要ないからにょろっ。
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