昨日に続いて今日も快晴だ。
なんぞかの創作物で天気が描写されている時、それは大抵登場人物の心情やその後の展開を暗示したものだ。晴れている日には楽しいことが起こるし、雨の日は何か嫌な予感がする。泣いている人のバックでは雨が降っているし、清々しい気持ちでいる人の上にはお日様が照っているものなのだ。これら心情描写は、元はといえば、晴れ、曇り、雨、とかいった天気に対して我々が無意識に持っている感情を利用した表現と言えるだろう。つまり、晴れの日には清々しい心模様でいるのが自然なのだが―――俺はといえば、一体自分がどんな気分でいるのが一番ふさわしいか、全く決めかねていた。

平日、しかも出勤や登校の時間は少し過ぎているから、俺の乗っているバスにはそんなに人は乗っていない。外回りだろうか、スーツ姿で書類を確認しているサラリーマン、おそらく定年を迎えているであろう老夫婦、幼稚園児くらいの子供と母親―――きっと降りる場所は同じだ―――あと多分サボリの女子中学生。そんな人たちがまばらに席に座っている。斜め前の女子中学生の読んでいる雑誌の「姫系はもう飽きた!来学期はお姉系!」みたいな煽りが目に入り、世代間格差を身に染みて感じたと同時、バスは目的地にゆっくりと停車した。

軽い荷物を持ち、子供と母親の後に続いてバスを降りる。相変わらずに強い日差しが一瞬目を眩ませ、その後に目の前に現れたのは―――

「遅いわよキョン!あんたねー、そんなに毎回オゴりたいわけ?ちょーっとでも学習能力があるなら、少しは早く来ることくらい覚えても良いんじゃない?」
「仕方ないだろ、来たことない場所なんだから。迷ったんだよ、少しだけ」

私服に身を包んだハルヒだった。かく言う俺も私服なわけで、天下の平日にあまりマジメとは言えない二人である。

「ほら、さっさと行くわよ!せっかく学校を休んでまで来てるんだから」
「うわっ、引っ張るな引っ張るな!っつうかチケット売り場はそっちじゃねえ!」

手を引かれながら入り口に近づいていく。休日ならばきっともっと込んでいるんだろうが、さすがに今日のような何もない日にはすんなりと並べる。学校でせこせこ学業に励んでいるであろう友人たちに少しだけ心の中で謝って、大人二人と係の人に告げる。

「もちろんフリーパスよね?」
「仰せのままに………体力持つか知らないけどな」

二人分の代金を払い、チケットを受け取る―――と同時に、入り口に駆け込んでいくハルヒ。俺も追って入る。

「大丈夫よ!」

入り口の向こうには、日常とは違う世界が広がっている。メリーゴーラウンドが廻り、バイキングが勢い良く揺れ、ジェットコースターの走る音が場内に響く。そこらから聞こえる子供の笑い声に被せてハルヒは、

「だって、きっと楽しいじゃない!」

また俺の手を取り、歩き始めるのだった。





<シーユーシー>






前日の昼間―――つまり、例の、有体に言えば修羅場のランチタイム。
きっと作品が違ったならノコギリで首筋を掻っ切られていてもおかしくないような状況で、俺はどうしていいものやら困り果てていた。あの時ほど現実逃避したいと思ったことはこれまでに無い。今なら俺だって閉鎖空間の一つや二つ作り出せてしまいそうだぜ。古泉に迷惑をかけることになるからやめるが。

『キョン、あんた鶴屋さんの家に泊まってるわよね?』

そのものズバリの質問だ。それを問うハルヒの目は真剣そのもので、逸らしたいと思っても逸らせない。蛇ににらまれた蛙―――なんて例えは風情が無いが、それ以外思いつかないようなプレッシャーだった。うう、とか、ああ、とか、意味を成さない声だけが漏れて。そこに、

『うん、そうだよっ』
『!??!』

鶴屋さん、いとも簡単に喋ってしまわれる。ああ、俺の命はここで終わりを向かえてしまうのだろうか。一つ目の誤解、鶴屋さんと一緒に寝た云々は言葉のあやということでハルヒも納得してくれていたようだが、しかしこれは多分致命傷―――!仕方ない、ボロクソに言われるのは覚悟しよう。心が折れても仕方ない、自分の優柔不断さが招いた結果だ。いや、別に誰と付き合っているわけでもないのだからそこまでされるいわれは無いのだが、なんとなく仕方ない気がするのだ。暴力に訴えられたら辛いなあ、多分ハルヒは普通より力強いし………

『ふーん。そうなの』
『軽っ!………おいハルヒ、それでいいのか?もっとこう、激怒したりとか―――』
『なに、あんた怒られたかったの?』

いや、そういうわけでは。しかし、鶴屋さんがこの間ハルヒを挑発した時には爆弾のように張り詰めていたというのに、この落差はなんだろうか。

『怒らないわよ、別に「友達の」家に泊まりに行ったくらいで』
『あははっ、そうだね。あたしとキョンくんは友達だからねっ。「まだ」』
『そうよね。あたしも「まだ」友達だから、それくらいは怒らないわ』

うんうん、そうにょろっ、と言って、鶴屋さんは立ち上がった。食べ始めたばかりの弁当も既に仕舞われて、どうやらここで食べる気は無さそうだ。

『ごめんねキョンくん、ちょっと用事が出来たんだよっ。一緒に食べるのはまた今度にしようねっ。ああ、あと―――今日からおうちに帰って良いよ、もうハンデは無くなったと思うからねっ』

言い終わると同時、屋上のドアが閉じる。俺は何が起きているのか―――というか、ハルヒと鶴屋さんの間でどんな無言のやり取りがあったのか把握し切れなくて、ただぽかんとすることしか出来なかった。ハルヒに何か聞いてみようとしても、いかんせん声も出てこない。情けない事に。そんな俺を見てハルヒは、呆れるでもなく、とても自然な口調でこう言ったのだ。

『明日、学校サボってどこか行きましょう』
『………はい?』



「あの『はい』ってのには疑問符が付いてたはずなんだけどなあ」
「訂正しないんだったら同じなのよ。それともなに、今日は学校で勉強してたかった?」
「や、それだけは無いけども。それよりも、」

周りを見渡す。そこかしこらら楽しげな音楽が流れ、それにかき立てられるように動くアトラクションたち。ここ、有名なネズミが住んでいるあの夢と魔法の国―――ではないが、その名前に恥じない程度の大きさを誇るテーマパークだ。出来てからそんなに時間が経っていないだけあって小奇麗で、まあきっと週末には親子連れとカップルで溢れかえっているのに違いない。入場ゲートから眺めるそれは、どこまでも広がっているように見える。

「最初はどれにするよ?やっぱり観覧車に乗って何があるか確認―――」
「えー」
「―――は、不満みたいですねハルヒさん」

初手から文句を付けられてしまった。俺としてはなんというか、セオリーというかお約束的なノリでの提案だったのだが。それに、なんとなくだがこいつは高いところが好きそうだ。あくまで印象論で根拠は無い。あったとしても殴られそうだから言わない。ふん、と気合を入れるような声を出して、ハルヒは園内に目を向ける。

「あのねキョン、遊園地ってのはどんな場所か分かってる?『遊ぶ』ところなのよ。そして遊びには計画性は無いほうがいいの」
「どうしてだよ」
「そのほうが何が起こるかわからないからに決まってるじゃない」

なんという迷惑な理論だ。俺が血液型占い信奉者じゃ無い事を感謝してもらいたい―――と思いつつも、そのハルヒらしい言葉に笑いがこぼれてくる事も事実であって。というか、これまでだって同じような感じだったのだから、今更俺がそれに呆れるのもなんだかアホらしいじゃないか。これは慣れなのかそれとも鈍感になったのかというのは、少し難しい問題だが。要するに、いつもと同じ事を言っているのだ、こいつは。あたしが好きな事をやりたい、と。それなら俺は後ろを着いていくしかないじゃないか。

「で、最初はどこに行くんだよ?」

言いながら、俺はハルヒに右手を差し出した。

「んー、アレ!」

その手を何のためらいもなく取って、子供のように走り出す。容赦なく最初からトップギアなもんだから転びそうになるが、触れた手は離れなかった。第二関節と第二関節の距離は小さいようで大きいみたいだ。引っ張られるのも大概にしなきゃいかんと思い、隣につこうと俺は速さを上げた。



「存外にベタなもんを最初に選ぶじゃないか、ハルヒさん」
「別に意表をつこうなんて考えては無いもの。いいじゃない、別に」

まあ、そりゃそうだが。そもそもベタじゃないアトラクションなんて遊園地には存在しないしな。平日に来たおかげで、二回ほど目の前でコースターの宙返りを見るだけで俺たちの番がやってきた。真っ赤なペイントが成された車体がガタガタと音を立てて俺たちの前に止まる。きっと新しいのだしセキュリティ面でも心配ないだろう。泣いている子供もちょくちょく見かけるがきっとそこまで怖くも無いと思う。そういえばこの間どこぞのジェットコースターが故障してケガ人が出たというのを見たような。………実は絶叫系はあまり好きでなかったり。

「ほら、早く乗るわよキョン!後ろがつかえてるじゃないの」
「うう、なんでよりによって一番前なんだよ畜生………」

ボヤきながら乗り込む。最前列というのは恐怖がデカいのだ、根拠は無いが。腰のベルトを付け、上がった状態のバーを体に付くまで下げる。なんというか、この細い物体で容赦ないスピードと遠心力に耐えられるかというのがとても不安だ。考えすぎだというのは分かっているのだが。

「あれ、あんたってこういうの苦手だっけ?」
「そっ、そんな事はねえよ!」
「最前列の左側の事故率は右側の二倍らしいわ」
「嘘!?」
「嘘よ」

畜生。騙されると同時に俺がジェットコースターに苦手意識を抱いていることも露見してしまったようだ。馬鹿をやっていると、無常にも発射のベルが鳴り、車体が前に動き出した。ガタン、ガタン、という振動が、嫌でも下にある心許ないレールの存在を意識させ、不安感を煽る。自分の体が地面と平行でなくなり、空へ近付いていく。前に備え付けてあるバーを強く握り、いずれ来るであろう落下の衝撃に備えた。と、突然。

「キョン、右肩にハチがいる!」
「げっ、マジかよっ!」

掃おうと左手を肩に―――と、その手をがっしりと掴まれた。

「えーと………ハルヒさん、何してるの?」

右手も同じように捕まれる。

「ジェットコースターってのはね………手を上げて乗ってナンボなのよ」

車体の上る速度が徐々に遅くなる。頂上が近い。

「いやいや、危ないじゃないですかそんなことしたらねえ」

さらに遅くなる。手は強く掴まれたままだ。こいつ握力どんだけあるんだ。

「危なくないわよ、注意書きにも書いてなかったでしょ。それとも何、怖いっていうの?」
「そうだよ怖いよ悪いか!認めたぞほら離せ離すんだ離してくださいお願いします!」
「だが断る」

車体が再び地面と平行になり、急激に角度がマイナスを刻みぎゃ――――――――――――!!!!!
俺を見て楽しそうに声を上げるハルヒを見て、この後もこんなのが続くのだと俺は確信していた。



「疲れた………」

ベンチに座りながら呟く。ジェットコースターの後もお化け屋敷にヒーローショー、凡庸であるようで決してそうではない道のりを経てのお昼である。子供のころよりも体力は向上しているはずなのにかつて無いほど消耗しているのは何故なのか、まあ原因は考えるまでも無くはっきりしているのだが。

「はい、オレンジジュースでいいのよね?」
「おー、サンキュ」

ハルヒから紙コップを受け取り、少し割高なそれを一気に流し込む。消耗した体にジュースはすぐに染みこんでいった。

「体力無いわねえ」
「いや、お前のせいだから」

お化けを驚かしたり怪人に捕まって自分で脱出したりしている本人がピンピンしているのは納得いかないが。ハルヒが隣に座り、準備して来ていたらしいランチボックスの蓋を開ける。その中のサンドイッチを摘みながら、やっとの昼食と相成った。なかなかにうまい。

「まあ」
「うん?」
「そういう事なのよ、キョン」
「いや、言葉が足り無すぎると思う」

そうね、と言うハルヒは、さっきまで散々に振り回してくれた表情とは少し違って、どこか真剣だ。

「鶴屋さんと付き合うの?」
「………今度は前置きが足りないと思うんだが」
「今までのが全部前置きなのよ、キョン」

それなら十分なのか。良く分からん。そして、その問いは簡潔でかつ核心だった。なんというか、今日一日それを考えないようにしていたし、考えないで済むようにしてもらったからな。咥えたサンドイッチを手に取りハルヒの目を見る。付き合う―――というか、結婚するしないという話が出てから、これでかれこれ数日経って、やはり俺には結論が出せないでいた。ただ、考えたことは山ほどにあった。それを言葉に出来るのか、俺は。

「疲れたでしょ?今日。あたしはそういう人間なのよ。何かしようと思ったら我慢できないし、自分が出来ないことも我慢できないの。それは相手に合わせようと思っても変えられるものじゃないから。今日の半日でよく分かったわ」
「ああ、なるほど―――要するに」

それは、お前と付き合うヤツはものすごく大変だという事で。で、このタイミングでそれを確かめ、俺に言うということは、

「あんた位しか、着いてこられないでしょ」

重なった第二関節までの面積が変わらないように、歩幅を合わせられるのは俺くらいなもんだと。そう言っているのだ、こいつは。

「もしかしたら悪あがきだったのかもしれないけどね、あんたの気持ちが決まってるんだったら。で、どうなのよ。鶴屋さんと付き合うの?」
「お前、顔赤いぞ」
「うっ、うるさい………!答えを聞かせなさいよ、そうすればこんな顔しなくても済むんだから………!」

答え。つまり、質問の通りに答えるのなら「付き合うか、付き合わないか」―――なのだが、本当は質問が少し、というか大分次元が違う。ここまで言われてしまっては、誤魔化す気も無い。

「答えは………まだ出せてない。というか、簡単に出せる問題じゃなくなっててだな………」
「なんでよ。あんた高校生でしょ、誰かと付き合うのにそんなに複雑な問題なんて無いじゃない」

簡単に言ってくれる。確かにこれが只単に付き合うというだけなら、そこまで悩まなかったのかもしれない。いや、それでもきっと悩んだのだろうが。

「実は―――結婚するかどうか、っつー問題に………」
「………結婚?」
「………そう、結婚」
「………付き合ってもいないのに?」
「………ああ、付き合ってもいないのに」
「………………………」

唖然としている。そりゃあそうだろう、俺だって同級生が結婚だなんだと言い出したら目の玉が飛び出る。
こういう所は普通だなこいつも―――と思い、少し目を逸らした、瞬間。

頬に強い衝撃が。その拍子にベンチから転げ落ちた俺は、驚いてハルヒを見る。見上げる。

「いてえ!何してんだお前!」
「うるさい!」

いやいや、それは無いだろう。見ると、ハルヒの右手は硬く握られて、やや赤らんでいる。思いっきりグーで殴りやがったらしい。いや、確かにここ数日秘密にしていたのはマズかったかもしれんが、唖然とするほど大事だということも分かってくれたはずなのに。勢いで殴ったのか、ハルヒは肩で息をしながら興奮気味だ。とりあえず落ち着かせようと思い、立ち上がろうとして、



「じゃああたしと結婚すればいいじゃない!」



「は―――――――――!?」

とんでもない事を―――暴言と言っても差し支えないほどの事をなぜか涙目で言い放ち。
衝撃から立ち直った俺が見たものは、全力で走り去るハルヒの後姿であり、その後に聞こえたのはバスの発車音だった。
そういえばバス、一時間に一本しかないんだよなあ。あいつ、一時間も前にここに着いてたんだよなあ。
固まったままの俺にできるのは、そんなことを考えるくらいだった。
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