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油断した、と思った。炎そのもののような、しかし確かな敵意に満ちた一撃が、また彼女の体力を削っていく。既に手札は全て出し尽くした。傷を癒す術も無く、痛みを堪えながらただひたすらに、相手の体を目掛けて一撃を見舞う。だが、目の前に立ちはだかる燃え上がる者は、残り僅かな力を込めた一太刀を事も無げに飲み込み、間髪置かず更なる拳を打ち込んできた。未だ鍛えの足りない盾では受けきれず、アスカは片膝を付く。

「くっ………!不覚………っ!」

ガラン、という音と共に盾が転がる。攻撃の手は止むことは無く、まさにこれ好機と見て頭上で腕を振り上げる。熱波が空気を切り裂く音と共に、必殺の一手が襲い来る。なんとか刀身で受け流した。しかしそこで終りだ。武器を握る手は既に感覚を失い、足は力なく地面に張り付いている。元より逃げる手は無かった。武士としての矜持がそうさせた。だというのに、無茶を張ってまで通してきたその誇りも、今まさに砕かれようとしている。せめて最後まで無様な様は見せまいと敵を睨み上げると、燃え上がる貌に僅かに見える暗い瞳が、次が最後だ、と告げている。

(せめて………せめて後一撃でも打つ力があれば………)

腕がだらりと垂れる。どれだけの気力を込めても、もう一寸も動かない。さっきの一撃を受けた時に筋を痛めたのかもしれない。見ると、力無く地に付いた手に握られた刀は、あれだけの攻撃を受けたにも関わらず折れていない。………刀は自分を裏切らなかった。あの時から自分と共にある、既に我が腕と一体となったこの刀は。だというのに自分はこの様だ。もう体は動かず、反撃するどころか今にも意識が飛んでしまいそうになる。耳元で、ブン、という音。

「がっ、は………ぁっ」

気が付けば壁まで飛ばされていた。どうやら攻撃を受けたようだ。叩き付けられたのだろうに、もう痛みすら感じられなくなっている。視界は血で滲み、だらしなく倒れ伏した体には、立ち上がる力は残されていない。掌に感じられる柄の感触。ああ、ここで倒れればこの刀を失ってしまう。それだけは、避けなければならなかったのに―――。ばちばち、と炎が弾けるような音が段段と近付いてくる。きっと自分は、敵の一撃を受ける前に気を失ってしまうだろう。なんという………不覚。徐々に薄くなる視界に最後に映ったのは、炎の光を反射する刀だった。気を失う直前、一つの影が、刀身に映るのが見えた気がした。



「う………ぁ………?ここは………?」

目覚めて一番最初に目に入ったのは、柔らかな部屋明かりだった。布団に包まれていた上半身を起こす。

「つっ………!」

腕に痛みが走った。それが、あの戦いでの敗北も、そしてこの光景も、どちらもが現実であることを思い知らせてくれる。………そうだ。自分は敗れたのだ。あの死闘の果てに。諸国を巡って来たことが、様々ないざこざを刀と共に潜り抜けてきたことが、それが己が慢心を生んだ。アスカはそう思った。既に腕利きの風来人によって制覇された山だ、と聞いた。他人に出来たのなら自分に出来ないわけは無いと、心の隅では思っていたのかもしれない。十分な準備もせず、道具の使用の配分も、随分荒かったと、今になってみれば思う。………自分の力ではなかったというのに。全ては、あの刀があったからだというのに。己が半身を、その思い上がりで失った。今は後悔だけが残る。どうしたって、あの一振りは戻ってこないのだ―――。

「全ては、拙者の未熟さ故………」

俯いて、数刻。とにかく今は、気を紛らわせたかった。そうしないと、今にも泣き出しそうになってしまう。そうだ、先ずは自分を治療してくれたであろう、この宿の主人にお礼を言おう。誰かと話していれば、この後悔から、少しでも離れられるから。そう思って、初めて部屋を見渡した。

「………?あの宿では、無い………?」

山の麓の宿とは、部屋の作りが違う。それに空気もどこか張り詰めているし、何より、あそこより湿度が段違いに高い。あの村だって川の近くに建っていたのだけれど………。混乱していると、襖越しの廊下を、誰かが歩いてくるのが聞こえた。宿の関係者では無いだろう。足音が風来人のそれだと判断して、アスカは身構えた。風来人の中には、あまり褒められたものではないような気質を持つものも多い。幾度もの旅を通して学んだことだ。そして、自分は今、武器を持たない手負いの女だ。………もしものことが、あるかもしれない。

(この足運び………相当の手錬に違いない………)

そう思って、足音の行方を見守る。一歩、また一歩とこの部屋に近付いてきた。手元に刀が無いだけで、ここまで不安になるものだったか………?また一歩。そして、部屋の前でその風来人は足を止めた。全身に緊張が走るのが分かる。襖に手がかかり、そして間を置かずに開かれた。自分とて武士の端くれ、視線で怯ませる位はできる………!そう思い、現れた顔を睨みつけようとして、



「………あ、起きてたのか。よかった、心配したんだぞ?」



―――その瞳に一瞬、捉われた。………穏やかな光を湛える目を見れば、敵意が無いことは即座に理解できた。そして多分、看病してくれたのはこの青年だ、ということも。優に六尺は数えるであろう長身、細身の体ながら確かに鍛え上げられた筋肉。何の邪念も無く笑いかける口元。そして、本当に嬉しそうに見つめてくる瞳。思い出される、無垢な笑顔。

「う、あ………」

言葉が出ない。この感覚は、知らないものだ。頬が燃えるように熱い。そういえば数年前に似たような感情を覚えたこともあったかもしれない。しかし、ここまではっきりと感じたのは初めてで―――。思わず目を逸らす。しかし、その青年はそんなこともお構い無しに、話しかけてくる。

「あ、腕の包帯は俺が巻いたんだけどさ、他のところは宿の人に任せておいたから、安心してくれよ」

はにかむようにそう言って、布団の横に座り込んだ。治療の施されている方の腕をそっと持ち上げ、注意深く観察してくる。自分がやった所がうまくできているか不安なのだろうか、それともこちらの体の具合を案じているのだろうか。どちらにしても、心配されるのは嫌なことではなかった。そういえばここ数年、人に頼った記憶が無い。頼る必要も無いと思っていたからだったが、それこそが慢心であったのかもしれない。意味が無いと分かっていても、ぎり、と歯を噛み締めてしまう。

「どうした?痛むのか?」

「あ、いや、痛みは大したことは………」

「そうか?なんか苦しそうな顔してたからさ。どこか不味いとこがあったら言ってくれよ」

気持ちが表情に出てしまったようだ。精神状態を他人に読まれるなんて、こんな事では武士として失格だ、と自分を戒めた。青年は、大事無いことを確認すると、ちょっと待っててくれ、と言って廊下に出て行った。さっきのものとは似ても似つかないような慌しい足音が聞こえて、そしてもう一度扉が開いた。手には食事が一人分。気付けば大分空腹だった。一日くらいは寝ていたのかもしれない。

「ほら、とりあえずお茶。長いこと寝てたから喉渇いてるだろ?」

「ああ、かたじけない」

最後に戦った敵のせいだろうか、喉が少し痛んでいた。無事だった左手で茶碗を受け取り、一気に飲み干す。体に潤いが戻っていくのが分かった。青年はその様子をじっと見つめた後、食事を布団の隣に置いてくれる。食事の他に薬草のような物が見えるが、痛み止めの類だろうか。この年齢で本当に気が利く人だ、とぼんやりと思う。

「とりあえず元気そうで良かった。いつまでたっても起きないもんだから」

慈しむような言葉。まるで旧知の友を気に掛けるような………どうしてこの人は、自分にこんなに親しげなのだろうか。嫌ではない、むしろ好ましく思ってしまう。きっと他の人間にこんな態度をとられたら嫌な気持ちになるかもしれない、しかし不思議とこの青年は、そう思わせない空気を纏っている―――。ただ、親しげに話しかけられている理由、それだけが、純粋な疑問としてあった。

「で、腕の調子はどうなんだ?アスカ。すぐに復帰できそうか?」

「………え?」

名前を知られている。風来人としては喜ぶべきことなのだろうが、自分は、特別な時以外はなるべく名前を名乗らないようにしてきた。風来人としてより、武士として、ただ道を極めることに意味を見出した故だったが、だからこそ何故名前を知られているのかが分からない。

「その、どうして拙者の名前を………?」

何故かはっきりと聞くことが出来なかった。いつもの自分ではない、と感じる。その言葉を聞くと、青年は、ぽかん、という顔をした。………何か間違ったことを言っただろうか………?

「………ああ、なるほど」

何かを納得したようだ―――と、今度は何も言わずにこちらを見つめてくる。初めてその姿を見たときと同じように、体の芯が燃えるような、そんな感覚が蘇った。射竦められて動けない。動きたいとも、思わない。

「まあ、あの時は小さかったし………これで分かるか?」

そう言って青年は、三度笠を身に着ける。そして、思い出の中の少年と、その姿が重なった。

「まさか………シレンか!」

「ああ、久しぶりだな、アスカ」

そう言って見せた笑顔は、あの時と同じ輝きを放っていた。



「そうか………ではテーブルマウンテンを攻略したというのは………」

「ああ、俺のことだな。………村の人は制覇したとか言って褒めてくれるけどさ、実際は何回も挑戦してやっとできたって感じなんだ。あんまり大したもんじゃない」

シレンはそう言って謙遜するが、我が身であの厳しさを味わった自分ならば、その難度は生半なものではなかったと分かる。アスカが到達していた位置は、山全体から見れば半分程度のものだった。それであのザマだったのだから、頂上に近付くにつれて厳しくなる敵の攻撃、地形の複雑さ、巧妙な罠、それらを潜り抜けるには相当の熟練が必要だろう。目の前の青年は、この若さでその域にまで達したのだ。

「いや、立派なものだ。村には風来人も多くいただろう?場数を踏んだ人間に称えられるということは、本物だということだ」

「はは、アスカに褒めてもらえる日が来るなんてな」

また破顔する。真っ直ぐな性格は、出会ったときのままのようだ。変わったところといえば、遥かに風来人としての逞しさを増したその体と、少しだけ増えた口数くらいだろうか。

「シレンは、鬼退治の後はどうしていたんだ?私は色々なところを修行がてら周っていたんだが………」

「俺も大体同じかな。あの村での経験はガキの自分には大きかったよ。子供がどうすれば生き抜いていけるかってのも分かったし、今の戦い方も大元はあそこだ」

懐かしそうに目を細める。自分も同じ気持ちでいられる事が嬉しかった。そういえばコッパが見当たらない。昔どおりならシレンの周りでわめいているはずだが………不思議そうに見回している自分に気付いて、シレンが説明する。

「コッパは今は別の村にいる。いつまでも一人立ち出来ないようじゃ風来人として頼りないからな」

「そうか………では、もう離れ離れで冒険する事になるのか?」

二人の昔の姿を知っている自分としては、それもどこか寂しい気がした。自分勝手な願いではあるのだが。それに、一人の力に慢心して痛い目を見た自分と、同じ道を辿らないとも限らない。

「いや、そんなことはないよ。俺はアイツのことが好きだし、それにアイツも俺を信頼してくれてるから。一人じゃなきゃ自立できてない、なんて言われたら、結婚も出来ないだろ。寄りかかりっぱなしじゃなくなるって事だよ」

「成る程………」

自分は、そんな考え方は知らなかった。他人は守るものだと思っていたから。いや、もしかしたらシレンとコッパのような関係にあった事が、何年も前にはあったかもしれない。忘れていただけなのか。

「それに、仮に離れ離れになったって、一人ってワケじゃないからな」

そう言って、腰の鞘に手を掛けた。一つの音も立てることなく、一本の太刀が晒される。それを見て、アスカの胸がちくりと痛んだ。

「それは………」

一目見れば相当使い込んでいることが分かる。無銘ながら刀身の輝きは、名刀のそれに一歩も劣らない。刀に映りこむ自分の姿が、痛々しく思えた。

「覚えてるか?あの時からずっと鍛えてるんだ。今じゃ他の刀は手に馴染まなくなっちゃってさ、困ってるんだけど。でもこれだけは手放せないんだ」

「ああ………」

忘れる事などある筈が無かった。その刀と対を成るもの、それを、つい一日前まではこの手に持っていたのだから。数年前、あの山中で魔物に囲まれた時。偶然通りかかった頼り無さげな少年が、この手に渡してくれたのが、あの刀だった。敵を切り伏せ、そして少年と共に村を救うことを決めたあの日。それから、二人で多くの魔物に立ち向かい、そして地形を切り抜ける度、共に鍛え上げてきた二対の刀。一つは少年を、立派な風来人へと育て上げていた。そして一つは、自分の―――

「シレン、拙者は………」

何故かは分からない。だが、謝らなければならないと思った。しかし、その先を言わせないように、シレンが言葉を重ねる。

「こんなこと言っちゃ何だけどさ、あのときアスカがまだこの刀を使ってくれてるのを見て、凄く嬉しかったんだ、俺」

「………?鬼退治の後で、拙者を見たことがあったのか?水臭い、声を掛けてくれれば………」

「いやいや、何言ってるんだよ。昨日の話しだって」

昨日、とはいつのことだろうか。自分はあの魔物との戦いで倒れるまで、村から出て誰とも会っていなかったと思うのだが。倒されて村に戻されてからなら、あの刀を見ることは出来ない。風来人が旅の途中で倒れてしまえば、所有している武器や道具は根こそぎ、地形に潜む魔物どもに奪われてしまうのだから。それは、どんな高錬度の旅人にも等しく与えられる、旅の神の罰なのだ。

「ああ、これも覚えてないんだな。確かに俺があいつを倒した時には気を失ってたから、不思議じゃないか」

そう言われて、あの時、最後に見た光景が蘇った。

「では、あの時の影はシレン、お前だったのか」

「そうだよ。びっくりしたぞ、誰かが魔物に倒されそうになってるから助けに行ってみれば、アスカがいるんだから」

「それは………もう一度礼を言わないといけないな」

「それはもういいって。他人じゃないんだから」

「む………そうか」

他人じゃない、という言葉が心地よかった。仲間を持つということは、きっとこういうことだったんだろう。長い一人旅の中で忘れてしまった感覚が戻ってくる。

「で、だ。さっきからアスカの話し聞いてると、なんか勘違いしてそうだから言っとくけど。ここ、麓の村じゃないから」

「やはりそうか………ではここは?確かにあの村とは空気が違うが………」

「ここは、地下水脈の村って呼ばれてる。位置的にはテーブルマウンテンの中腹あたりだな。戻るよりはこっちにいく方が早かったからさ」

自分は中腹にも辿りつけていなかったのかと思うと、気分が沈んだ。と、ここで疑問が一つ。

「では、ここまで運んでくれたのもシレンなのか?麓に戻されていないということは………」

「そうだ。だからさ」

後ろに手を回し、一振りの刀を見せる。それは、幾度も難所乗り越えてきた自分の分身。あの日から共にあった仲間の証。そして、もう二度と手には戻らないと覚悟したもの。

「これも無事だよ」

それを見たアスカの目から、涙が零れる。

「あっ………ああっ………」

言葉にならなかった。この刀を失ったとき、今までの自分を全て失ったような気がしていた。二人で旅をしたことも、その後一人で修行に明け暮れたことも、あの少女を救うために戦ったことも、全て。それがまだ、ここにある。

「シレンっ………拙者はっ………」

「わかってるよ、アスカ。大丈夫だから」

手渡される。いつもよりも重く感じられるのは、疲れているからだけではないだろう。鞘に収められたままでも、自分を守ってきてくれたその温もりは、いつにも増して感じることが出来た。まだ痛む右手ごと掻き抱いて、何度もその姿を確認する。涙は止め処なく流れ落ちてくる。

「なあ、傷が良くなったらさ、もう一回一緒に冒険しないか?ここの天辺から見える景色、すごく綺麗なんだ」

アスカは、身を震わせながら大きく頷いた。他人に泣く姿を見せるのは初めてだったけれど、それを恥ずかしいとも思わなかった。シレンはその姿を、微笑ましげに見守っていた。



「ほらアスカ、口あけて」

「いや、シレン、それはさすがに恥ずかしい………」

目の前には箸。その先には魚の切り身が挟まれている。聞けばここは川の近くということで、成る程魚も新鮮で大層おいしそうで食欲をそそるのだが、いかんせんその箸を持っているのが自分ではないというのが。

「でも刀を持ったままじゃ食事もできないじゃないか。それに右手は使えないみたいだし」

「う………」

そうなのだ。傷を負った右手は元々使えない。それなら左手で何とかすればいいのだが、その左手は、どれだけ強く念じても、その刀を放してはくれなかった。まるで、もう二度と離れるのは御免だと言わんばかりに。

「だからほら、あーん」

「うう………このような屈辱………」

しかしシレンの押しに耐え切れず、アスカは口を小さく開いた。そこにそっと切り身が押し入ってくる。身を切るような恥ずかしさは消えないが、空腹には耐えられない。ぎゅっと噛み締めると、素朴な味が口いっぱいに広がった。どうやら思った以上に体は飢えていたようで、思考とは裏腹に次の一口を求めてしまう。

「どう?うまい?」

「ああ、とても」

それなら良かった、と言って次の一口を進めてくる。ここまで来たら恥ずかしがっていても仕様が無いと思い、今度は直ぐに口を開いて迎え撃った。体中に生気が満ちていくのが分かる。それを見ていたシレンの視線が、左手に注がれた。刀をぎゅっと握って離さないその姿を見て、シレンはにっこりと笑う。

「………やはりおかしく思うか?」

「そんなことは無いさ。俺だってあの刀を無くすのは死んでもイヤだからな。アスカを運ぶ時なんて大変だったんだぞ?気絶してるのに刀は離さないんだから。ありゃ、ひきはがすのは魔物たちでも無理だよ」

からからと笑う。そうか、自分はそこまでこの刀を必要としていたのか、と今更になって思った。

「はい、次。………でもアスカらしくないな、あそこで倒れそうになるなんて。もしかして薬草とか切れてたのか?」

「んむ………あれは油断だった。他人が攻略済みの場所だからと、碌な準備もせずに挑んだからな………」

「そりゃ無謀だ。俺だって何の備えもなしに行けば途中で倒れちまう。仲間を連れてたら別だけどさ」

「わかっている………一人でこなしてきたことが思い上がりに繋がった。それは痛いほどに思い知らされたよ」

シレンはそれ以上は聞かない。聞かなくても大丈夫だと思ったんだろう、これが信頼というものなのだろうか。先程約束した、久しぶりのシレンとの冒険が、自分にとって何か大切なことを教えてくれるかもしれない。それが楽しみでならなかった。そういえば、仲間といえば。

「シレンはこっちにも仲間が出来たのか?さっきの口ぶりだとそう聞こえたが」

「ああ、何人か。俺の弟だって言い張ってるヤツと、あとツボ治療がうまいんだか下手なんだかよくわかんない男。あと、目潰しが得意技の危ない………人だな」

「………三人目の事を詳しく教えてもらおうか」

明らかに間があった。女だと直感が告げていた。しかもシレンのこの反応、どうやら普通の女性ではなさそうだ。何故か不快感が胸を襲う。

「いや、別にさ、お竜………あ、そいつはお竜って言うんだ、そいつとは別に何も………」

「そうか。では仲間になった時のことを教えてもらおう」

こんな場合は馴れ初めが劇的な事が多い。そしてその多くで女性側は、男性に好意を抱いて仲間になるのが定番だ。

「あー………男に囲まれてるところを助けたんだよ、普通だろう?」

「そうかそうか。お優しいことだな」

「うう………でもさ、俺もお竜には、その前に目潰し喰らってたりしたんだぜ?」

「そんなことをされても助けるとは、ますますお優しい」

「うう………」

今までの態度とは一変して項垂れるシレン。少しやり過ぎたかもしれない。別に、彼のしたことはまずい事でもなんでもなく、むしろ褒められて然るべき物だから。………分かっていても、自分が止められなかったのも事実だが。しかしこれ以上責めるのは酷だ。よく考えたら責める理由もない………筈だし。

「すまんシレン、少し言い過ぎた。お前は当然のことをしたんだから。今回は拙者が悪い」

「ん………でもさ、本当に何も無いんだからな?」

「でも証明なんかできないだろう?」

「手厳しい………」

それでもやはりなんとなく、納得は出来なかったのだが。



数日が経ち、右手の痛みも完全に引いた。早めに治療したことが良かったのだろう。今日までの間シレンは冒険を中断し、アスカの世話を焼いてくれていた。いくら左手が無事とはいっても不自由なことも出てくる。いつ何が起こるか分からないからと、シレンは四六時中隣にいるような状態だった。幸い金銭的には問題が無かったので、宿での暮らしも続けてこられた。が、それも今日で終りだ。

「じゃあ、出ようか」

「ああ。今日まで世話になったな、シレン」

お互いに言い合って、村を出た。あの時に交わした約束をさっそく実現しに行くために。

「ここから先は拙者は到達していないからな。シレンの方が先輩だ。よろしく頼む」

「はは、そんなに畏まらなくてもいいって。仲間なんだからな。それに、本調子のアスカなら全然問題にならないさ」

会話しつつも周りの気配に気を配りながら、階段を目指す。これだけ高い位置まで来ると、出現する魔物も一筋縄ではいかない者ばかりだ。一人ならきっと苦労しただろう。しかし、二人ならなんとでもなった。自分を倒したのと同じ種族の魔物も、労せずに倒す。

「一人ではあれだけ苦労したというのに………」

「単純に考えても二倍だからな。戦術の幅を考えれば三倍にも四倍にもなる」

確かにそうだ。だが、相手がシレンだということも相当大きいと思った。もしかしたら自分よりも場慣れしているかもしれない。子供の頃から戦いの場に身を置いていたからだろうか。間もなく階段が見つかり、さらに上に。

「………ここも同じ地形か。だが少し空気が薄くなった気がするな………」

「ここでも相当の高さだからな。一番上なんて空気があるのかもあやしいぜ」

階層が変わっても出現する魔物は変わらない。同じような対応で一匹一匹倒して行き、一つ、もう一つと階段を上がっていく。そして、急に一つの階段の前で、シレンが足を止める。

「ここだ。ここを上ると、巨大な空洞に出る。地形が普通より入り組んでる上に、敵が一段階強くなるんだ」

「ふむ。ではここで気合を入れなおさなければ………」

そう言って、むん、と勢い良く踏み出した。と、そこで急に足元に出っ張りが見えた。勢いの付いた脚は止まらず、そのまま引っかかってしまう。このままでは転ぶ―――

「うわっ、と。危ないなアスカ」

と思ったところで、むんずと腕を掴まれて、そのまま引き寄せられた。頬に感じるのは、布越しに伝わる胸の鼓動。それは見たときから分かっていたことだが、あの頃とは全く違う。逞しく鍛え上げられた胸板の厚さも、腕の細く引き締まった感触も、どれもが知らないものだ。

「平気だったか?」

「あ、ああ」

思わず声が上ずってしまった。今顔を上げたら、自分はどんな風に見えるのだろうか。もしかしたら真っ赤になっているかもしれない。いままでどんな屈強な男相手にもこんな事にはならなかったのに、まさか自分は、子供の時から見ていたこの青年に………

「なあ、アスカ、どうした?」

「あ、いや、なんでもない。さあ、次へ行こう次へ」

火照る顔を見られないように、足早に階段を上るのだった。



「………これは、なんとも………」

「びっくりするよなあ?最初に見ると。いきなりこれだもん」

シレンは見慣れたものという風にしているが、初見のアスカには驚くべき光景だった。いままで山の中を上がってきたはずが、どうしてか急に空洞に出てしまったのだから。下を見下ろしても底が見えない。一体どうなっているのだろうか………

「村の人も、どうしてこうなってるのか分かんないんだってさ。でも、なんにせよここを突破しないと、三つの試練にすら辿りつけない」

「そうだな、驚いているのはこれくらいにして進もう。一体ここにはどんな魔物が………」

「杖を使ってくるやつも結構やっかいだけど。でも一番面倒なのは………アスカ!下がれっ!」

「―――――――――ッ!」

声と同時に殺気を感じ取り、一歩後ろに飛びのく。その瞬間、鼻先を掠める鋭い切っ先。

「―――!死神か!」

「呆けてると囲まれる!一気に行くぞ!」

「応!」

道具を駆使しつつ追っ手を討つ。一つ倒したと思えばまた一つと、足場の限られた場所で翻弄される。体力を削られながらも、なんとか出口を見つけた。走りこんで二人でしゃがみ込む。

「普通に倒しててもいいんだけどさ、道具とか無くなっちまうし」

「ああ、引くのも一手だ。問題は無い」

そう言って立ち上がり、シレンの手を引いて立ち上がらせる。

「あとどれ位だ?」

「残りは三つの試練だけだな。幻魔、竜哭、最後の試練。ここは特に厳しいから油断するなよ」

「ああ。もうそんなことはしない。半身を失うような目に遭うのは、もう沢山だ」

言って奥へと進んだ。と、それと共に襲い来る獣気。これまでの物とは比べ物にならない。それに加えて、酸素の薄さも体力を削いでいく。長居は状況の悪化を招くだけだろう。

「ああ、そうだ。ここの魔物は正直言って硬いからな。一匹片付ける前にもう一匹が来る、なんてことが良くある。だから―――」

「結局はさっきと一緒かっ―――!」

二人は同時に走り出した。通り過ぎた通路の向こう側には、橙色の姿が見えた。

「あれは―――竜種!こんな所に!」

「あいつらが棲んでるところって少ないはずなんだけどな、ここはその一つみたいだっ」

言いながらも足は止めない。しかし、最後の階段を目の前にして、ついに複数の敵に囲まれる。

「シレンっ!」

「背中合わせろ、アスカ!倒すまでこっち向くなよ!」

そう言って戦闘に突入する。相手は、いかにも硬そうな一角獣と、そして死神一匹。シレンは一人でドラゴンを相手にしている。ウエイトは同じくらいか。先ずは素早い敵を減らさなくてはならない。死神に的を絞り、一太刀を加える。すぐ横から、一角の魔物の頭突きが飛んでくるが、紙一重でかわした。そしてもう一撃。今度は死神の急所にクリーンヒットしたようで、相手は地面に倒れ伏す。それを視界の隅で確認した後、もう一方に一撃を。がちん、という音。どうやらあの皮膚は相当の硬さを誇るようだ。それならば―――!相手の間合いを計り、僅かな呼吸を読む。そして一角獣の必殺の一撃に合わせて、一突きを見舞う!

「ふっ―――!」

唸り声を上げて突撃してくる敵の、その胸目掛けて刀を突き立てる。確かな感触の後、敵は動きを止めた。どうやら届いたようだ。と、同時に後ろでも、巨体が崩れ落ちる音が聞こえた。

「やったか、アスカ」

「ああ、そちらも大丈夫のようだな。こんな戦い方をしたのは久方ぶりだ」

「悪くは無いだろ?」

「ああ、もちろん」

拳をつき合わせ、そして、天上へと続く階段を踏み出した。



「これは………」

「どう思う?」

「黄金郷というには、いささか寂しいのでは?」

「ははっ、コッパと同じこと言うんだな」

そう言って歩き始める。シレンにとってはここは馴染みの場所らしい。自分の知らない場所を彼は知っているという、たったそれだけのことに哀しさを覚えてしまう自分は、どうかしてしまったのだろうか。同じ景色を見たいと思ってしまうのは、何かおかしいことだろうか。置いていかれないように、早足でその後を追った。

「ほら、この道の先に黄金郷があるんだ。アムテカ、って言うらしい」

「この道は人が作ったのか?これでは空中都市と言った方がしっくり来るな」

「全くもってその通り」

シレンはその道を渡り始めた。僅かに、崩れてしまうのではないかという恐れも生まれる。しかし何の迷いも無く進んでいく背中を見て、安心することが出来た。歩みを続けること数刻、二人はそこに辿りつく。

「………シレン、先程の言葉を訂正する。ここは間違いなく黄金郷だ」

「まあ、ここを見た後じゃあその名前以外は思いつかないよな」

荒れ果ててはいるが、しかしそれでもそれ以上に似つかわしい名前は無いように思えた。空気が、今まで辿りついたどの地よりも澄んでいる。魔物がここに一匹もいないのは、そのあまりの静謐さに中てられてしまうからだろうか。この姿となってなお、未だここは聖地なのだ。

「アスカ、こっち」

いつの間にか離れた場所にいたシレンが呼ぶ。黄金色の大きな建物の横あたりだ。そこは柱や壁が崩れて、一見閉ざされているように見える。が、シレンはその隙間を縫って奥に入っていった。アスカもそれに倣い足を進める。

「これだよ、見せたかったの。凄いだろ?」

「ああ、これは、なんと………」

眼前に広がるのは、見渡す限りの雲と、それを真っ赤に染める夕日だった。所々の雲の隙間からは、地上が覗いている。その様はまるで海のようで、今まで上ってきたこの山すら容易に飲み込んでしまいそうに思える。

「この時間の景色が一番綺麗なんだ。いつもは雲ばっかりだから真っ白なんだけど、この時はまるで風景に感情があるみたいな感じでさ。疲れ果ててても、そんなこと簡単に吹っ飛んじまう。そうだろ?」

「確かに。こんな物を見せられたら、自分の体に執着するなんて事が馬鹿らしくなってしまうな………」

そうだな、と頷いて、シレンは腰を下ろした。その隣にアスカも座る。

「本当はアスカが元気無さそうだったから、見せて驚かせてやろうと思ってたんだけどな。それは大きなお世話だったか。ちゃんと一人で立ち直ってたから」

「いや、あの時シレンが助けてくれていなかったら、拙者は本当にダメになっていたかもしれない。シレンには感謝してもし足りない」

「はは、俺はここにアスカと二人で来られただけで満足だから」

「………でも、お竜とやらとも一緒に来たことがあるんだろう?」

言わなければいいのに、と思ったが、それでも引っかかっていたことだった。案の定シレンは慌てたような素振りを見せる。

「まっ、またその話か?前も言ったろう、お竜とはなんにも無いんだからさ」

「だが証拠が無いだろう。本人を呼ぶか?」

「ううっ、そんな事したらからかわれるに決まってるじゃないか………」

分かっている。きっとシレンは嘘を付いていない。それでも、シレンが他の女と二人で旅をしていたなんていうのは、どう考えても気持ちのいいものではなかった。きっと自分は、この青年に恋をしているのだ。だからこんな、今まで取った事のないような態度を見せてしまう。もしかしたらそれで嫌われてしまうかもしれないのに。シレンはまだ悩んでいたが、急にその顔を上げて、アスカの方に向き直った。

「………わかった。証拠、見せればいいんだろう?」

「あ、ああ。あるんだったらな」

また虚勢を張ってしまった。早く謝ってしまえばいいのに。そんな葛藤を知ってか知らずか、目の前の青年は、かつてないほど思いつめたような目をしている。

「アスカ!」

「な、なんだ、シレン?」

そう答えた瞬間、両手でがっちりと顔を固定された。そして―――

「んむっ?んっ―――――――――!」

そのまま、強引に口付けられた。数秒の沈黙の後、顔と顔が離れる。息が荒い。一体何を………

「シ、シレン?」

「………証拠。今の、俺の初めて」

「………っ、そっ、そんなものは全然証拠に………」

「いいんだよ、俺には本当だって分かるから。それでいいだろ?こっちだっていっぱいいっぱいなんだ」

「う………」

拗ねたように言われて、言葉を失ってしまった。こんなのはずるい。シレンは顔をあさっての方向に向けながら、言葉を続ける。

「俺さ、もうすぐここを出ようかと思ってるんだ。何回か上ったし、知らない魔物も居なくなった。そろそろ違う景色を探す時期だと思うんだよ」

「あ、ああ、それが?」

自分は何を期待しているのか。それが外れた時の落胆は酷い物だと思う。しかし、どこかで確信する自分がいた。

「だから、それに付き合って欲しい。アスカじゃないとダメだ」

「………ああ。こっちこそよろしく頼む。拙者も、シレンじゃないとダメなんだ」

そう言って、二人で手を取り合った。丁度日が沈もうとしていた。景色が一瞬真っ赤に染まり、そして徐々に暗くなる。それはアスカには、一つの終りと、始まりを現しているように見えた。



翌日、黄金郷から何度目かの帰還を果たしたシレンは、村人たちに旅立ちを告げた。人々は大層残念がったけれど、風来人がどういうものかはよく知っているから、それほど長くは引き止められることも無かった。行く先での活躍を期待する声や、健康を気遣う声、再会を望む声など様々だったが、こんな所でもアスカは、シレンの人柄を知ることが出来たのだった。………酒場の娘の態度は、少々気になったが。

「………もう少し経ったら、俺のもう一つの初めてもあげるからさ」

そう言って笑ってくるシレン。こっちばかり赤くなっているのも癪だったので、

「じゃあその時は、拙者の初めてもシレンにあげるよ」

と言っておいた。何故か赤くなっている英雄の旅立ちを、村人たちは不思議そうな顔で見送ったのだった。並んで歩く二人の腰には、それぞれの刀が揺れる。それはまるで、最初から対として造られたかのような姿だった。
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